夏の熱中症予防レメディ

 

こんにちは、ひろみです。

9月になりだんだん気温も下がってきましたが、まだまだ日中は暑い日が続きますね。

 

夏休みは子供たちと公園やプールで過ごすことが多かったので、熱中症には特に気をつけていました。

 

こまめに休憩して水分、ミネラル補給はもちろんのこと、ペットボトルや水筒の飲み物にレメディを溶かして飲んでいました。

 

 

 

日射病には、Bell.(ベラドナ)、脱水症状にはChin.(チャイナ)が良いので、36基本キットからこの2つの粒を水に入れて飲むようにしていましたよ。

それにCarb-v.やSulph.を入れるのもいいですね。

 

 

今年は豊受自然農から天然スポーツドリンク「海幸彦」が発売されたので、ミネラルの補給に大活躍しました。

 

 

 

海幸彦

 

 

市販のミネラルウォーターやスポーツドリンクよりミネラルが豊富なので、飲むたびに身体が欲してごくごく飲めちゃいます。

 

ちゃんと対策していれば暑い日差しの中、一日外にいても疲れ知らずです。

 

外で作業される方にもぜひおすすめです。

 

 

 

コロナと共に生きる

 

最近のジャーナリズム記事やSNSなどを読んでいると、コロナへの意識も徐々に

「コロナを回避する」から「コロナと共に生きる」というように変わってきているような気がします。

 

 

このウィルスの蔓延がいつまで続くのか分からないまま、経済活動をいつまでも止めておくわけにもいかないし、

時間が経つにつれて必然とコロナウィルスが日常にある環境に私たち人間も慣れていくような気がします。

 

(そもそも、ウィルスは今までも身近にいて存在するものなのでコロナが特別なわけではありませんが。)

 

 

ウィルスを敵として戦うのではなく、私たちの一部として捉えて共存するような体験を一人一人がすると、

コロナも役割を終えていつの間にか話題にものぼらなくなるかもしれませんね。

 

 

 

ある国では医療崩壊を防ぐために、ロックダウンではなく、ゆっくりと国民をコロナに感染させて免疫を獲得させていく政策をとっていたようです。

 

 

 

 

「健康」とは、ウィルスにかからないことではなくて、ウィルスが身体に入ってきたときに自分と自分でないものを区別して外に押し出すことができるかということで、

自己と他者を区別して必要ないものを排泄するのが免疫力なのだと思います。

 

 

自分にとって「健康」とは何なのか?

それぞれが捉え直すことができて、ウィルスに感染することも自分に必要があって感染するのだと思えたら、今ある恐怖の半分くらいはなくなるんじゃないのかな。

 

 

自己と他者を区別するというのはウィルスだけではなくて、見るもの、聞くもの、感じるもの、

全ての情報もそうで、

私たちは五感から入るたくさんの情報のなかで、常に ”何が自分で、何が自分でないのか” を識別しながら生きているのだと思います。

 

自分以外は自分ではないということ。

 

そしてそれを判断するには、他の誰でもない自分。自分への信頼をつくることが大事ですね!

 

何もしなくてもうまくいく

 

こんにちは、ひろみです。

 

最近、「何もしない」実験をしていました。

 

何もしないとは、急に活動をしなくなって無活動になる

というわけではなくて、

自分になにか働きかけることをしない

という意味での「何もしない」こと。

 

ホメオパシーを学んだり

潜在意識を学んだりして

自分と向き合うことに慣れてしまいましたが、

 

”何もしなくても自然とうまくいくもの”

というのをここで試したくなって、

なにかあっても

それを解決しようと働きかけることを

しばらくやめていました。

 

もちろん

したいことはしていたのですが

レメディをとらなきゃ、意識と向き合わなきゃ、など

「しないといけない」と無意識に習慣になっていたことを

ストップしました。

 

それはまた自分を信じることでもあり、

自己治癒力を信じることでもあるかな、と思いました。

 

何も働きかけなかったけれど

日常の会話や出来事の中に気づきがあったり、

いつの間にか執着が手放されていたりして、

自然にうまくいっていました。

 

 

できないことがあっても、

「まあいっか」

「どうせうまくいくから」

と思えるのでとても楽です。

 

ちょっとまじめになりすぎてしまったり、

いつの間にかズレてしまった思考を戻すのに

いいなと思いました。

 

頼もしく、信頼できる自分に感謝しています。

 

 

 

 

 

ヘルペスの症状に試したレメディ

 

 

こんにちは、ひろみです。

 

最近ですが、まぶたに炎症をおこして、唇もプツプツと発疹が出てそれが痒くて痒くてたまりませんでした。

最初はまぶたのかゆみだけだったのですが、次第に唇も痒くなって、最後には後頭部も腫れて首を動かすと痛い状況でした。

 

この炎症と痒み、たまに起こるのですがいわゆるヘルペス(水ぼうそう)ウィルスの症状です。

小さい頃に水疱瘡はかかっているのですが多分薬を塗っていたからちゃんと身体がかかりきっていなかったのかもしれません。

ヘルペスってなかなか厄介で結構症状が長く続きます。

なんだかんだで2週間くらい。

それまでに思いつくレメディは色々摂って試していたのですがどれもあまり効果がなくどうしたものかと思っていました。

 

前回はPuls.を摂ったらすぐに症状が消えたのですが、今回はPuls.もNat-m.もRus-t. もSulf.もだめ。

痒みが増してそろそろ限界と思っていたところにインドのプラサンタ・バナジー先生の処方(プロトコル)をメモしたノートが目に入り、なんとなく試してみようと思ってバナジー先生の処方通りレメディを摂ってみました。

 

バナジー先生の処方は、

 

痛みがひどい時、

Ant-c.6C  Hyper.200C を2〜3hごとに交互にとる。Bell.3Cも。

その後、

Canth.200C Ars.200C を2〜3hごとに交互にとる。

最後の方になったら

Rus-t.30C

というものでした。

 

6Cはないのでとりあえず手持ちにあるキットに入っているポーテンシーのAnt-c.とHyper.のレメディをその通りにとってみました。

アンチモンなんて完全にノーマークだったので、なぜ?という感じでしたが調べてみると確かにヘルペスの症状に、ハイペリカムも帯状疱疹に合うのですね。

しかしそこからが凄かった。

 

一気に症状が進行して、目が痒くて痒くて搔きむしらずにいれなくなって掻いていたら右目の眼球が真っ赤に充血し、眼球がむくんで目からはみ出ていました。

その様子といったら恐ろしすぎて、鏡を見た途端に私は失明するんじゃないかと思いました。

 

その姿を見たときに、なんだかいろんな感情がどうでもよくなって、全てが「もういいや」っていうような気持ちになりました。

あれしなきゃ、これしなきゃ、とか。やりたくないと思っているんだろうな〜とか。色々思ってたことはあったのですが全てどうでもよくなって、生きていればそれでいいやという結論に至りました。

 

症状が何を伝えようとしているのか、何のためにやっているのか、それまでに色々考えてはいたのですが、結局やりたい自分、やりたくない自分、気づこうとしている自分、全部の意識や感情を認めてしまうことが大事みたいです。

無理に良い子になろうとしても辛いだけだよっていう感じでした。

だから逆に「こういうふうに思っているんだよね」と認めちゃって、何だか色々考えていたけど「何でもいいや。どっちでもいいや。」となるととても楽になるんですね。

 

 

ちなみに炎症をおこして真っ赤に充血して半分飛び出た自分の目をみて恐怖を味わった後、わたしは最近はまっている麻雀ゲームをしてひとしきり楽しんで眠剤を飲んでさっと眠りました。

 

翌日起きてみると、目の腫れはひいて、後頭部にあった腫れも小さくなって目の充血とまぶたに痒みが残るくらいになっていました。

 

バナジープロトコルの2回目の処方のCanth.とArs.をとって、最後にRus-t. も摂ってみてとりあえず処方をコンプリート。

 

症状のピークは越えたみたいで安心しました。

(でもさすがに翌日も眼球がむくんで目から飛び出ていたら眼科に行って抗ウィルス剤をもらおうと思いましたが。。)

 

そんな体験談だったのですが、やはり好転反応がすごすぎてあの恐怖は通常一人で乗り越えられるものではないので、やっぱりできるだけ穏やかに症状を促すLMでとりたいと思いました。

 

でもLMポーテンシーは常備しているわけではないので注文して届くまでに時間がかかるし、「基本キット(30C)」や「キッズキット(200C)」みたいにLMの「基本キット」があったらいいな。

 

サポートAIのMTを食塩水で薄めて目を洗ったのも役立ちました。

 

以上私のヘルペス体験レポートでした。

”螺旋状の成長”

 

 

こんにちは、ひろみです。

 

 

新しい価値観に出会う時はいつもどきどきします。

 

自分が今まで持っていた考えが覆されそうになるときには抵抗が生まれ今までの考えに必死にしがみつこうとするのですが、二つの間で葛藤しながら「変わった方が良くなる」と「もっと面白くなる」と理解する前に心がもう分かっていることもあります。

 

 

でもとりあえず色んな理由をつけたり自分を説得してみたりして抵抗してみる。

 

そんなふうに抵抗している自分も丸ごと許してしまうと、あっけなく色んなものが外れていったりします。

 

 

守ってきた価値観の中で得てきたものはとても大きくて、目には見えなくても確かに自分の実になっているものです。

 

同じところにいるように感じても同じことで悩んでいるように思っても、螺旋状の階段のように人間は進化成長しているもので、立っている場所も見える世界も違います。

 

 

たまには足を止めて今まで登ってきた道のりをゆっくり上から眺めてみるのもいいかもしれません。

 

途中で出会った人の顔を思い出してみたり、身についた能力を喜んでみたり。

 

ふたたび見る風景を違った気持ちで見れたりします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かに幸せを感じるとき

 

 

こんにちは、ひろみです。

最近はすっかり秋めいてきて、夜になると涼しい風と虫の音がとても気持ちよく感じます。

静かな秋の夜は、心落ち着いて物思いに耽ることが多くなります。

 

 

最近は、ふとした瞬間に幸せを感じることが多くなりました。

 

カフェでコーヒーを飲みながらパソコンを開いているとき。

気になった言葉を書き留めているとき。

それが小さい頃に憧れていた なりたい姿だったと気づくと、

何より幸せな気分になります。

 

 

気のおけない友人と、会いたい時に会って色んな話をしている時。

仕事の打ち合わせに向かうために、好きな街を歩いている時。

何も考えずに子供達と笑っている時。

そんな時にも、幸せだなと感じます。

 

 

何か劇的なことが起こるわけでもなく、興奮や期待に胸が高鳴るわけでもなく、

何もおきない時間に、静かに幸せを感じる。

 

その感覚を感じてみると、それは私にとって肌にくっつくような安心感でした。

 

 

ふとしたら見過ごしてしまうような、気がつかないような当たり前のことが

いつかの自分が憧れ、求めていた夢だったりする。

 

そのことに気づくと、今の自分に幸せを感じ満ち足りた気分になります。

 

 

瞬間瞬間が奇跡のような、小さな幸せの欠片なのだなと思います。

 

 

 

蝉の声を聞くと思い出す夏のこと。

 

こんにちは、ひろみです。

 

 

朝から蝉の鳴き声が聞こえ、部屋に強い日差しが差し込むと、小学生の時に夏を過ごした田舎を思い出します♪

 

夏休みには決まって祖父母の住んでいた佐渡ヶ島の家に帰省するのが当時の私の一番の楽しみでした。

 

籐の旅行かばんにお菓子やら、トランプやら、宝物を詰めこんで、旅の支度をし、わくわくしながらお気に入りのお洋服を着て出かけました。

 

 

島に着くと田んぼや畑しかない長い長い道をひたすら車で走ります。

 

昔ながらの大きな長屋作りの祖父母の家が見えると、車から飛び降りて妹と二人、

「おじいちゃ〜ん!!」と叫びながら玄関までの長い道を走って行きました。^^

 

 

 

 

 

朝から耳いっぱいに聞こえる蝉の鳴く声。

 

ジリジリと暑い日差しの中で、長靴にモンペ姿で家の前の畑でキュウリやナスやトマトやカボチャを収穫しました。

 

井戸水で冷やしたトマトをそのまま丸かじりして食べたのか最高に美味しかった!

 

母と祖母が裏の森でミョウガを採っている間に、私たちはミョウガの葉の裏に付いた蝉の抜け殻を夢中で探していました。

 

都会で育った私には何もかもが新鮮で、非日常で楽しかったのです♪

 

 

夕方になると変わるヒグラシの鳴き声や、大きな壁時計のボーンボーンと鳴る音、お線香の匂い。

 

夜になるとシーンと静まり返ったちょっぴり怖い布団の中も。

 

佐渡で過ごした夏のことは、今でも鮮明に覚えています。

 

 

 

ある年の夏、家から少し離れたところに私たちとちょうど同じくらいの子供が住んでいるという話を聞きました。

 

家の周りで人を見かけることなどあまりなかったので不思議でしたが、会いに行って一緒に遊ぶようになりました。

 

西という屋号の家に住む姉妹は、偶然にもわたし達姉妹と同じ歳でした。

 

すぐに気の合った私たちは、家の隣にある廃校された保育園の園庭で遊んだり、近くの湖まで散歩したりしていました。

 

ある夜、ペルセウス座流星群が来る話を聞いて、一緒に流れ星を見ようという話になりました。

 

私たちは夜中に保育園に集まって、草がボウボウに生えた園庭にビニールシートをひいて寝転んで星を見ました。

 

仰いだ空には、見たことのないくらいのたくさんの星が輝き広がっていて、

空にはこんなに星があったのかと、白く光る無数の星屑に驚きました。

 

その空に星が次々と流れるのです。

 

今まで見たこともないような大きな大きな流れ星。

 

ゆっくりと時間をかけて、長く真っ白な尾を夜空に描いては消え、また白い線を描いては消えます。

 

2.3秒に一度、次々と流れる星を見て感動のあまり声が出ませんでした。

 

ただ、すごい!すごい!と興奮して広大な美しい夜空のキャンバスに釘付けになっていました。

 

いくら願いごとをしたって、なくならない。笑。

 

 

星が流れるときには、大きな、はっきりとした白い線を描きます。

 

その尾が描く曲線がとても美しく、ただ見とれていました。

 

 

ふと、

星が消えるとき、それは誰かの命が尽きるときなのではないかと思うようになりました。

 

 

流れ星を見るたびに今、どこかで誰かの命が無くなったのかもしれないと。

 

 

だとしたら、その星が描く軌跡はその魂の生きてきた人生のようで。

 

まるで誰かの一生を一瞬で見せられているかのようでした。

 

 

 

長い線もあれば、短い線もある。

でもそのどれもが美しくて、

命の美しさに感動しました。

 

 

 

私が死ぬときにはどんな線を引いて流れるんだろう。

 

 

誰かがどこかでそれを見ていてくれるのかな。

 

 

そんなふうに思ったらなぜか嬉しくて、心が幸せに満ちていくのでした。

 

 

今でも思い出す、夏の思い出です。

 

 

 

 

 

 

 

Live your bliss⭐️

https://ameblo.jp/channik

 

 

 

大切なものは言葉にならない。

 

こんにちは。ひろみです。

先日「海獣の子供」という映画を見に行ってきました!

 

この映画、どんな話かというと、

自分の気持ちを言葉にするのが苦手な瑠花という中学生の女の子が、チームメイトと問題を起こして部活動を活動停止になってしまい、

夏休みに家にも学校にも居場所がなくなった彼女が水族館を訪れ、ジュゴンに育てられた二人の男の子に出会うというお話です。

そして海で起こる不思議な現象に巻き込まれ、不思議な世界を体験していくというストーリー。

 

 

 

 

まずアニメーションがとてもきれいで見入ってしまいました。

それから舞台が江の島だったので、江ノ電や新江ノ島水族館の様子が実物そのまま描かれていて、湘南出身の私は懐かしい風景に嬉しくなりました。

 

何より感動したのは、映画のテーマやストーリー、映画の中で登場人物から語られる言葉でした。

 

人が生まれて死ぬというのは、どこからきて、どこへいくということなのか?

「私たちは何もみえてないのと一緒なのかもしれない。」という劇中のセリフ。

 

宇宙も深海も自分の手の上の物語にあるということ。

 

 

語られるセリフを聞くたびに、真意をついた言葉にぞくぞくして、ストレートな表現に胸を突かれてドキドキしていました。

 

ものすごい壮大な話だったのです。

 

私の思う「宇宙の真理」がこの映画の中に全部入っていました。

 

生命(いのち)について、宇宙について思うことはとても感覚的なものだと思うのですが、その感覚をそのままに、とても分かりやすく映像にしていて、

さらにセリフを使って随所、言葉でそのまま伝えていたことにも感動しました。

 

 

作り手の、畳みかけるように何かを伝えようとする努力が伝わり、

そのストレートな気持ちと表現に、胸を打たれたような感じがします。

 

 

主題歌は米津玄師さんの「海の幽霊」という曲。

これがまたとてもよくて、映画にぴったり。

 

「大切なものは言葉にならない。」

という歌詞が曲の中にあります。

 

大切なものは言葉にならない。

だけど、それを言葉にしていく。

 

言葉にする絶え間ない努力の大切さを、

言葉にして相手に伝える大切さを、とても強く感じさせる映画でした。

 

よかったら観てみてください^^

 

 

Ameba BLog :

https://ameblo.jp/channik/

日本という国の美しさ

 

こんにちは。ひろみです。

令和元年、初の投稿ができて嬉しいです✨

 

私がアメリカに留学しているとき、

アメリカ人とネパール人の友人から

「日本の国歌ってどんな歌?」

「歌って。」

と言われて、二人の前で歌ったこと

があります。

 

君が代を外国人の前で歌ったのは

初めてでした。

 

そのときに、久しぶりに君が代を歌

ってみて、しかも独りで。

 

歌いながら、私は、

なんて美しい歌なんだと感動してい

ました。✨

 

試験前で勉強していた深夜2時の教室で、

たまたま国歌の話題になり、

二人の友人はただシーンと、

私の歌う君が代に耳を傾けていました。

 

その時の異様な緊張感を今でも覚え

ています。

 

友人たちは、なんて美しい曲なんだ

と感動していました。

 

 

小学生の時から行事や式典があると

皆んなで合唱していた君が代。

 

でも、日本人以外の前で歌ってみて

初めてその曲の美しさに気づいたの

です。

 

 

外国の国歌は華やかでドラマチック

なものが多いです。

音符もたくさん並びます。

 

 

でも、日本の国歌はごく短く、

削ぎ落とされ、洗練された言葉で、

静かに始まり、静かに終わるのです。

 

そしてその言葉が、

ほかでは聞いたことのないような

美しい旋律にのります。

 

 

外国の友人がその歌にうっとりする

のをみて、

わたしはこんな美しい国歌をもつ国

に生まれて、なんて誇らしいんだろ

うと思いました。

 

その時から私は、君が代が大好きに

なりました。

 

 

歌える機会があると、嬉しくて

歌いながらその美しい曲に聴き惚れています。

 

 

 

白地に赤の日の丸の国旗も好き。

 

 

シンプルで、何の誇張もないのに

美しい。

 

 

国歌と同じように、外国人から

日本の国旗はとても美しい

と言われます。

 

 

日本人が受け継いだ、

 

深く、目に見えない精神性。

 

それをことばで表現するのは、

とても難しいのだけれど、

 

人の心に伝わり、染みる、

その美しさ。✨

 

 

その美しさに気づけて、良かった。

と思います。

 

 

Ameba Blog✨Live your bliss

https://ameblo.jp/channik

 

 

 

 

藪の中

 

こんにちは。ひろみです。

 

「藪の中」✨

 

芥川龍之介さんの小説です。

初めて読んだときはとても衝撃を受けました。

 

ある男が盗人に妻をてごめにされます。

 

翌日、その男の死骸が藪の中から発見されます。

 

死骸をめぐって、

誰が男を殺したか。

 

というのを各人の証言から見ていきます。

 

男(死んでいるので霊体として「自殺した」のだと証言)、 妻、盗人、

それぞれが自分が殺したと証言します。

 

みな異なる証言をするので、本当のところ誰が殺したのかわかりません。

 

真実は藪の中。✨

 

ただ男が死んだという事実がそこにあるだけです。

 

 

その出来事に対して、三者三様の解釈があります。✨

 

感情や心理によって真実はいくつもの姿を呈するのです。✨

 

 

人生に置き換えると、

 

何か出来事が起こったときにそれを

どう捉えるか、解釈するか、✨

 

によって事実が変わってくる✨

ということになります。

 

 

そもそも現実は自分が見せている幻影であって、

真実みたいなものは存在しないのです。

 

そこにあるのはただ、解釈だけ。✨

 

 

歴史は語られた時点で物語になるように、

人生もまた語った人の物語。✨

 

どんな物語にしたいのかは自由で、

現実に何を創造するかも自由なのです。✨

 

それって、とてもすごいことだと思いませんか✨💛😆

 

Amebaブログ Live your bliss

https://ameblo.jp/channik