平成最後の日〜祈りと感謝を込めて73より

私たちが通う
カレッジ・オブ・ホメオパシー

学校も

2年生の授業が
はじまったばかり
新たなことが始まる春ですが

気づけば

平成最後の日
という時代の歴史的瞬間を

迎えました!!!

普段
テレビを見ない私も

今日は
朝から

天皇陛下が

皇居・宮中参殿へとむかう

即位の儀を

テレビ越しに拝見していただきながら

様々なことが浮かび
泣いてばかりです。。。。

 

実は、

1年半前に

勤労奉仕のお会釈 会で

天皇両陛下と皇太子殿下と
初めて
お話しする機会をいただきました。

 

 

勤労奉仕とは、

国民なら誰でも!!!

15名以上の団体で
4日間の皇居のお掃除させていただける
ご奉仕ホランティア活動です

4日間の中でも

運が良ければ、
天皇両陛下と皇太子殿下に
直接お会いすることができる
お会釈があります。

 

宮古島から

東京に帰ってきたばかりの私は

東京1のパワースポット

勤労奉仕で

人生が変わった!
という友人の話を

何度か聞かされることになり

 

大人の遠足気分で皇居へ

毎年、春に
参加させてもらっていました。

 

なにより

東京のど真ん中に位置する
皇居の大自然に癒される!!!!

毎回毎回
とても感動的な
体験をさせてもらっていたのです。

そして

4回目になった
2017年の10月

どうしても私が団をつくって
団長を
しなくてはならない流れになり・・・

縄文の歴史書と言われるホツマツタエを勉強する仲間や
御神事や舞の友人や先生
私が主催している
セラピストや講師を育成をしている
イザナミ校の生徒さんに、声をかけて

全国各地から集結したメンバー
プラス 私の父親も加わり

「いさなみ あわの会」奉仕団

を結成しました!!!

私たちは、古代ヲシテ文字で
「あわの歌」が書かれた

お揃いの
Tシャツと手ぬぐいを
5元素をモチーフに
オリジルデ製作をお願いし

これを全員着用して、挑んだのです

朝早くに
皇居に集まり
警察の厳重な警備と点呼をしてから整列して
皇居内に入ります

宮内庁の方に案内されて

私たちのご奉仕期間は、
4つの団体がいて

それぞれ分かれて
皇居内の清掃をしていきました。

広大な敷地の中は、

一般では決して入ることのできない
国賓を迎えるお部屋や
園遊会のあの庭園や
国の重要文化財の数々

テレビで見たことがある場面を

お掃除しながら
庭師の方の楽しいお話とともに

実は、
見学案内をしていただくという
おもてなしばかり・・・・

皇居内は、
広大な敷地になっているので

4日間での作業と歩く距離は
かなり!!になるのですが

それよりも何よりも

巨木や大自然に溢れていて

と〜〜〜っても気持ち良す!!!

ご奉仕中の皇居内での撮影は、
一切禁止ですが

プロのカメラマンさんによる記念撮影は

赤坂御所と2回ほどあります

実は、この4日間のうち

お会釈会があるのか
いつ行われるのかは

わからないのですが

天皇両陛下、皇太子殿下は、
激務のご公務の中でも

何より国民との関わりや

ご奉仕団への労いのため

御会釈を楽しみに
大切に大切に
してくださっているのがよく分かります。

そして、実は・・・

団長は、

団員の代表として

天皇両陛下
皇太子殿下へ

日頃の活動内容を
説明をするために
直接お話します。

基本的に聞かれたこと以外
余計なことや発言することや行動も
決して許されない
厳重な警戒のもと行われるのですが

そんな
緊張感の中

誰もが

不思議なほど
溢れる涙を止められなくなります。

これは、本当に説明のしようがないのですが

天皇皇后両陛下を

間近にすると
涙は、勝手に溢れてきてしまうのです。

実は、私は、
こんな体験をもう3回もしていて

とてもじゃないけど
団長なんて
務まるわけがない!!!

と、とにかく
団長だけは、
断固拒否したのですが・・・・

みんなの説得と

そんな小心者で天邪鬼な自分から
抜け出したい!
という思いに立ち返っての
初挑戦でした・・・・

ところが
いろんなデトックスが同時に起こって

その期間

私は、ひたすら咳をし続け
みんなに終始心配される始末・・・・

そんな中

赤坂御所では

皇太子殿下との御会釈がありました。

こんな言葉を使っては
失礼に当たるのかもしれませんが

実物の皇太子殿下は、

とてつもなく凛々しく!!!!!
カッコいいのです・・・

何より

お話しするときは
相手の目を

射抜いてしまうんじゃないかと思うほど

しっかりと見つめる

目力が半端ないのです!!!!

そんな目でみられたら

私は、何も喋れなくなる・・・

なんて

とてつもなく緊張して

その時をまっていたわけです。

しかし

実際は、

皇太子殿下と目があうと
とてつもなく優しい優しいエネルギーに溢れていました

「みなさんは、どのような活動をされているのですか?」

と聞かれ

思わず、

「あのね」

なんて
言ってしまいそうになるほど
(冗談です)

実際は、びっくりするほど

緊張はほぐれ

非常にお優しい!!!!!

「私たちは、
縄文の歴史書と言われるホツマツタエを勉強しながら
古代日本の歴史や神話や古代文字について学び
日常で あわ歌を唄い、舞、祈りを大事にしている奉仕団です」

と、答えました

「そうですか、どうかお体に気をつけて」と

私の後ろに整列した
団員みんなに
目を配ってくださいました。

 

これから陛下になられる皇太子さまの

貫禄は
年々増していくのを感じていました。

そして

わたしたちは、また元氣に!

園遊会のお庭の
落ち葉拾いや雑草取り
お掃除に励むことができました!!

 

皇居の中でも
もっともエネルギーが高い場所があります

 

それは

今回、退位の儀が行われた
日本の神事をおこなう聖域

 

賢所(かしこどころ)

宮中三殿

と言われる

天照や八百万の神々などが
祀られ

天皇陛下を中心に
国の大事な
神事が執り行われる場所になります

つまり

日本の祈りの根幹となる聖域なのです

この中へ入る門は、
神事が行われるとき以外は
固く閉ざされていて

これまで
中を覗くこともできないその門の
外から

神社の参拝と同じく
二礼二拍手をして
参拝させていただくのです

この周辺は、
別格!といってもいいほど
神気を感じる

とても気持ちの良い
エネルギーが
漂っているので
非常に印象的な空間でした

 

ところが

いつもは・・・・

宮内庁の庭師の方が
それぞれの団を
案内されるはずのところを

4日目の最終日

私たちの団だけ

白い袴の
神職さんが
迎えに来られ

後に
ついていくと

いつの間に・・・

その宮中参殿の中へ
通されいたのです

先頭を歩いていた私は、

まさか?と疑いながらも

これが
いつもの道と違うことに

だんだん
気づきはじめるのですが・・・・

団員として参加している人のほとんどが
勤労奉仕
初参加の方が多く
誰も気づいてはいないのです

私は、何度も何度も振り向いて
やばい!やばい!!!

っと
挙動不審にジェスチャー
ちょっぴりパニック状態・・・

そして、

宮中参殿の中で
正式参拝のように
みんなで順番に参拝をさせていただき

案内をしてくれた
若い神職さんから

これから1年でもっとも大事な神事となる
神嘗祭
準備を手伝っていただきます
と、説明をされました

この宮中三殿の中でのご奉仕は、

とても稀なことで

震えてしまうほど
その中は、
それはそれは
神聖なエネルギーに溢れていました

なんで私たちの団が
通されたのかは
いまだに謎ですが

実は、気づけば・・・

私の団には、世界各地で祈り舞い
日々祈りを大事にしている方々

普通の生活をしながら日常の中で神事をしている
ような方ばかりの集まりでしたから
(これらの内容について申請はしていません)

荷物の運び出しをして
作業をしている
団員の皆さんの姿は、

かつて
天皇に仕えていた古代の巫女や神官のように
も見えて来て

どこか懐かしく
とても自然な光景にさえ見えました。

そんな宮中三殿での
作業を終えて

休憩をするために移動していたところで

太陽の周りに
大きな虹が出て

神職さんが
こんなに大きな虹は、初めて!!!と
感動していたそうです

私は、団長として
そのとき 宮内庁にて賜り物を
受け取っていたので

その後

仲間と合流したときに
虹の説明してくれるみんなの目が
とにかく
キラキラしていました

そして、

その直後に

天皇皇后両陛下とのお会釈がありました。

厳重警備の中
お車が
部屋の目の前に到着すると

ゆっくりゆっくり
寄り添いながら登場された
両陛下

間近でお会いするお姿は、
とてつもなく神々しく

お姿が近づくにつれて
涙をすする音が部屋の中に聞こえてきます

その国民を見渡す視線は

まるで愛おしい我が子を見るように

優しい

とんでもなく慈愛に溢れてい流のです

言葉にすると
なんとも胡散臭いのですが

普段泣くことがないと言ってた男性も
泣かずにはいられなくなるのですから・・・
これが摩訶不思議なのです〜〜〜

しかし、

私は、もちろん!!

今回ばかりは
泣いては、いられません!!!!

団長一人一人に話しかけてくださり

私の前に来ると一礼して
奉仕団の名前をお伝えします

皇太子殿下と同じく

団の説明をさせていただきました。

「あわの歌とは、どんな歌なのですか?」

と、天皇陛下に聞かれたので

「あわ歌は、古代ヲシテ文献の
ホツマツタエで

いざなき いざなみが
言葉の乱れた時代に
全国各地を歌って回ったと言われる
結びの歌です」

と、説明させていただくと

皇后美智子様が
すかさず

「聞きたいわよね!」
と陛下に
伺うようにおっしゃられたので

「歌ってもよろしいでしょうか?」

と、お伺いすると

とても嬉しそうに
弾みながら美智子さまは、
頷いてくださいました

私たちは、その場で
5月にも
伊勢神宮で御奉納舞した
あわの歌を唄いました

*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・*

あかはなま いきひにみうく
ふぬむえけ へねめおこほの
もとろそよ をてれせへつる
すゆんちり しいたらさやわ

*・゜゚・*:.。..。.:*:.。. .。.:*・゜゚・*

そのとき
ともにいた他の団体も
あわ歌を
知っている方が多かったようで

気づけば
みんなの大合唱になっていました

美智子さまは、一音一音を頷きながら
聞いていて

両陛下は、
とてもとても嬉しそうにされていました。

みんなのすすり泣く声も
ピークを迎えていました。

それぞれの団長とお話を終えてから

最後に、万歳三唱をして

お見送りをします

これまでの中でも
あまりにも感動に溢れた
奇跡のような4日間の
ご奉仕でした

 

あわ歌 とは、

毎日唱えると
五臓六臂が整い
空間や波動が整う言霊という内容が
古代文献にも書かれています

日本語の48音(オト)は、

ホメオパシー
レメディのようなものだと思われます。

それぞれ

母音を司るオトは

固有のバイブレーションを放つのです。

 

古代ヲシテ文字は、

天皇家(アマカミ)だけが
使うことが許されていたとも言われ

その文字自体に
エネルギーがあります

江戸時代には、禁止文字として封印されていたのですが

この時代に
世の中に出てくるのにも意味があるように感じています

私たち祖先から伝わる

言霊(ことだま)・音霊(いろたま)・型霊(かただま)

全てに
エネルギーを放っている

まさに、波動
レメディなのです!!!

皆様は、ご存知でしょうか??

国の象徴と言われる
天皇陛下のお仕事は、

祈りです

神社の神主さんや宮司さんを総括する
祈りの儀式を行う神官のトップ
なのです。

 

祈りの国に生まれた私たちは

戦後

とても大事な
自分のことを
知らされていません

日本という国は、

世界で最も古い国であることは
ギネスブックにも載っているのですが
ほとんどの国民が知りません

アインシュタインは

かつて日本に訪れた時に

世界が闇に包まれたときに

精神性のリーダーとなるのは、
日本であろう
と言い残しています

日本の建国の理念は

「八紘一宇」はっこういちう

「世界が一つの屋根の下でありますように」

という
世界平和
祈って
創られた国とも言われています。

こんなことを言えば
右寄りだ
と言われてしまうこともあったので
私も発信を避けた時期もありましたが

もう、時代は、
右も左もない

今ここ
統合の時ですから

自分の恐れをただ
手放していくだけですから💕

もう、国という枠すらも超えて
ただただ祈りたい

こんなことばかり発信することになった
私は、

そもそも
日本に全く興味がなく生きていきました

フランス料理に明け暮れた頃は、ヨーロッパを訪れ
癒しの南の島に憧れハワイやバリや沖縄へ
その後は、精神世界に目覚めて
ネイティブアメリカンの聖地シャスタへ

などなど

とにかく
日本だけは

興味が湧かない!!!

な〜〜の〜〜に〜〜〜

宮古島での10年の島生活で

おば〜を中心とする
祈りや祭りという
神事の多くに触れるようになり

がつく島

宮古
島で
身近に感じて来た10年から

日本の神事に自然と繋がって行きます

その大きなキッカケが


2013年の大遷宮の年

陰陽を結ぶ

伊勢遷宮儀式と
出雲遷宮儀式に
参加することから

勝手に・・・・
全国各地へ
日本の神事に携わるようになりました

なんでこうなっちゃうのかは・・・・

魂の歴史に
意味があるようで

ホメオパシーレメディを
日常で取り入れることで

自然と

自分の本当のことが
露わになって
行きました

特に、私の
子宮の病は、

自分の子宮というお宮
肉体という社(ヤシロ)と
意識について

たくさん
教えてくれました。

 

平成最後の日

これまで
全身全霊で
天皇陛下は、祈りの儀式をされて来ました

時に、極寒の中
寝ずに祈るという儀式が
執り行われきました

宮古島のおば〜もそうでしたが

それは、

常に
国民のため
世界平和のために

祈られているのです

そして

これが
日本という祈りの国の
根幹になっています

ですから

見えないエネルギーで
私たちは
守られてきました

神の国

日本

と言われる
この日本では、

国民は、大御宝
呼ばれます

今日は、

天皇両陛下に
心からの感謝を込めて
綴りました

これからは
私たちが
ともに祈る時だと感じています

全てのものに神が宿る
この国の精神性を想い出す時ですね

これから世界が
注目していく精神性

ぜひ!!

機会があれば
勤労奉仕に参加して

このエネルギーをご自身で
感じて
確かめてみてください!!!!

国民でしたら誰でも参加できます

これからは

誰もが古来から大事にして来た
祈りや、祭りに目覚めていく時代ですから

自分に目覚めていくために💕

新しい未来は、
古来に
ヒントがあると言われています

縄文の古代文字や
神話にぜひ触れてみてください

レメディのように

自分を
思い出していくはずですから
たくさんのイベントを開催しています

イザナギイザナミプロジェクト
73(なみ)でした

●イベント一覧
●73ブログ

また、令和で
愛ましょう〜!!!!

令和っしょい!!!!

どんな世界で生きるか

いろんな人がいて、いろんな風に世界をとらえて生きています。
私が最近ずっーと考え続けていることは、自分も含めて“その人がどんな世界で生きているか”ということです。
思い癖、思い込み、ともいえるかもしれません。
まさしくインチャというフィルターを通して作り出すその人だけのワンダーランド!
 
後悔の世界で生きている人、
競争の世界で生きている人、
悲嘆の世界に生きている人、
諦観の世界で生きている人、
自己憐憫の世界に生きている人、
自己否定の世界に生きている人、
攻撃の世界に生きている人もいると思います。
 
はたまた、、
受容の世界に生きている人、
感謝の世界で生きている人、
利他の世界に生きている人
など暖色系の世界に生きている人もいます。
同じような体験をしても、
同じ話を聞いていても、
住んでいる世界が違うととらえ方が全く違っていて、
どう受け止めるかによって、
こんなにも受け取るものが違うんだと驚くことがあります。
 
よく私の恩師が言っていた “人は聞きたいように聞く” というのが分かる気がする今日この頃。
日々唱える般若心経がじわじわと自分の中にしみ込んできて、、
繰り返し語られる“空(くう)”ということを頭ではなく心で分かり(始めた、と言いたいですが、、)たいと思っているからなのかもしれません。
受想行識全てが実体のないもの=“空(くう)”であるということ。
実体がないがゆえに、
“あるように見えているもの”=事象や目の前にで起こる出来事は、その人の心が如実に反映されているということ。
そして、どうやらその世界は何も意識しないままでいると
[←ココがたぶん重要!]
色濃くなっていく傾向が強いようだ、と感じています。
 
翻って自分自身のことを考えると、私はたぶん自己卑下の世界に生きていたので、“わが魂を痛ましむる“私自身であったと思います。
そんな気付きを得て以来、周囲を見渡してみると、自分を自分で押さえつけて、型にはめて、小さく生きている人がなんと多いことか!!
自分で作った見えない檻に囚われることなく、軽やかに生きて行きたいと思います。
般若心経現代語訳、ご存知でしょうか。
寅子先生の訳もあるのに怒られるかもしれませんが、
私は結構好きですYah~!()
 
———————————————
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。


見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。


揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ? 

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。

 
“全ては此処にある”

GBC(グローバルコミュニケーション)?

こんにちは! J(ジェルセミューム)です。 春ですねぇ~🌸

さて、前回は日本で優秀なビジネスパーソンがなぜ世界中から同僚が集まってくる会議や研修などで活躍できないのか? という課題を投げかけました。

ホント、日本人頑張れ〜‼ と思うところですね。

で、私自身の経験からの考察になりますが、まず第一に

* 幼少の頃から他者と議論・意見交換することに慣れていない ということが大きいと思います。

海外での会議や研修はとにかく意見交換の場、議論の場が多いです。

議論スキルは会議の場だけではなく、グループワークをしたり、皆で食事を一緒にする席でも使われるスキルですよね。  食事中もいろんなテーマで話が飛び交うんですから気が抜けない(!) 日本人はただ笑って聞いているだけ・・・または、「君はどうなの? 」と発言の機会を与えてもらい、やっと話をする・・・ことが多いようですね。

これは教育の影響がとても大きいと思います。 他者と意見交換をし、議論を深めて自分の立場・意見をその場にいる人たちによく理解してもらう、または議論を通して他者の意見をよく理解するという経験が無さすぎて、指名でもされなければ会議でも黙っているしかないのです。

また、どのタイミングで皆の議論に入っていけば良いのかわからず心の中で右往左往。 最初の頃私はよくこれで内心焦りました💦 (私の英語力で今入っていいのか~、議論の流れをぶった切ったりしたら大変だしぃ~、などと余計なことを考えてるうちに議論は終了・・・チーン)

さらに、

→ 日本ではどちらかというと「議論=ケンカ」という受け止め方なので(最近は変わってきていると思いますが)、行儀の良い人は議論しない。 声の大きい人か立場が上の人の意見に従う。 議論する人は気が強いか、他者と協調できない変わり者。 また、本人は議論のつもりだがケンカ腰になっている場合が多し。  ましてや立場が上の人と議論するなんて評価下がるじゃん、と思う。  ホリエモンはよく議論しますが、ふてぶてしい奴、という印象を多くの人が持っているのではないでしょうか。  でもあれくらい話さないと存在を気付きもしてもらえないんですよね。

→  他者への上手い質問の仕方に慣れていない(批判的ないい方でもなく、自分の知りたいことを上手く相手から導きだす聞き方が苦手。 質問なのか相手批判なのか意味不明になる人が多い。 質問なのに詰問口調とか(笑))

→ 他者から質問されると批判されたような気持になり、反対・批判的な意見に対しては個人攻撃と受け取るカルチャー。 貴方の「考え」に反対なのに「貴方自身」を否定と受けとめる。 自分の発言=自分自身なんだから反対意見を述べるなんて、あなた、私のこと嫌いなの? と思ってしまう。

Jの会社でも、説明の後「なぜそう思うの?」と質問すると「あ、やはりだめですよね」という反応が返ってきます。 判断のためにもっと情報頂戴、と言っているのに引っ込めてしまう・・・質問されると途端に弱気になる人も多いですね。

→ 意見交換しながら途中で自分の意見・立場が変わることは議論の場ではよくあるにもかかわらず、日本人はよくよく考えて「正しい」と思ったことを厳選して発信するため、一発勝負。  よって、なかなか自分の意見も変えないし(自分の意見=自分自身なので)、合意が得られないと心は撃沈🌊。

→ 「⭕⭕の部分がよく理解できなかったんだけど・・・」というコメントは、自分の説明を理解したいのだとは受け取らず「貴方の説明が下手だから良く理解できなかった」と受け取る。 欧米人はよく「So…what ?」(結局何がいいたいの?)と結論を促すことが多いですが、これも心が撃沈🌊

「批判に弱い」のも我々日本人の特徴かもしれませんね。 個人的に受け取るので撃沈するか、追加の説明や見解を提示して懐疑的な相手を納得させることもせずオロオロしちゃいます💦

そして、

→ 自分の伝えたい事、意見、質問などを簡潔に伝えることが苦手(訓練・練習不足。 傾向としては、説明が少なすぎて相手が理解出来ないか、言い回しがくどくて相手が迷宮に陥るケースが多いようですね。 これは日本語でも同じですが、英語になると特にその傾向が強く出るようです。) 結果、相手に理解されていない・・・という気持ちが更に発言の回数を減らします。

→ 「正しい事」を言おう、行おうとするカルチャー = 間違ったことを言いたくない、したくない(加点思考ではなく、減点思考) → よって、これが正しい!、と確信できるまで発言を控えるか態度を保留。

学校で先生と生徒が双方向にコミュニケーションを取ったり、生徒同士で意見交換をする教育であれば建設的な意見の出し方、議論のマナーなどを体得するのでしょうが、Jの学生時代は「先生の話は黙って聞きなさい」という一方通行の教育を受けてきましたし、「発言は手を上げて指名されてから」=許可を得てから、という教育でしたから、議論が飛び交う中にジャンプして議論を深める為に一石投じるなんてのはやったこともないし無理だよお〜💦  という感じです。

サッカーのプレー経験がないのにいきなりグローバル編成チームに入れられて「一緒にゴールを目指そう!」とか言われているようなもんです。 誰にパスしたらいいかわからないし、ルールもよくわからない・・・ おろおろしているとチームメートはまるで以前から仲間だったかのように上手くパスしながらゴールして抱き合っている・・・ そして自分はその輪に入っていない・・・ という感じかな💦

*** つづく

 

[Andoyo] 隕石の衝突によって出来た天然ガラス『モルダバイト』

モルダバイトってご存知ですか?

最近は知られるようになってきましたが、
まだまだマニアックな石の一つです。

1787年、チェコのブルタバ川 沿岸で発見されました。

ブルタバ川は、ドイツ語で『モルダウ』といい、
それがこのパワーストーンの名前の由来となっています。

クラシック音楽でも、スメタナが作曲したモルダウは有名ですが、
ブルタバ川の情景を描写したものといわれています。

モルダバイトは
今から約1480万年前、
南ドイツに隕石が落下し、
その衝撃と高熱で
宇宙由来の成分と地球の成分と混ざり合って出来たとされます。

モルダバイト

身につけた感覚としては、
宇宙と繋がる、そしてパワーが高まるといった感じです。

他のパワーストーンでも
自分のパワーが高まると感じることはよくありますが、
宇宙と繋がった感覚になったのは、
モルダバイトならではだと思います。

ストーンの中でも波動がかなり高く、
持ち主のエネルギーが足りないと
眠くなったり、だるくなったりすることもあります。

ホメオパシーでも
モルダバイトのレメディ『Moldav-E』
がありますが、
摂るとパワーが高まり、
自分の体から光があらゆる方向に伸びて
宇宙と繋がった感覚になりました。

モルダバイトはとても高価なので
まずはレメディだけでも試してみるのも
いいかなーと思います。

あの世とこの世をつなぐもの

こんにちは、みことです。

さて、突然ですが、

私たちが生きている『この世』と死んでしまったいわゆる死後の『あの世』の話なのですが、

基本的に『あの世』に行ってしまった人とは生きている私たちは会うことはできませんよね。

ですが、

たまにタイミングが合えば、会う方法があります。

 

さてそれはなんでしょう?

 

そう、夢の中です!

 

ただし、会えてよかった~!とか、言ってなかったんだけど、これ伝えておくね!など、こちらが話したい話をできるかどうかは分かりません。

先日放送が終了したNHKの朝ドラ「まんぷく」で内田有紀扮する主人公の亡くなったお姉さんがしょっちゅう夢に出てきて会話するパターンと違って、夢では自分の行動すらなかなかコントロールできないですからね。

 

さて、

私はたまに祖母の夢を見ます。

生前はザ・台風の目のような、一緒に住む人間の性格がどんどん悪くなるような、人の神経を逆なでするような💦、そんなパワフルな人だったのですが、

亡くなってからは、

今では、まちがいなく私の一番好きな人♡です。

さて、そんな祖母の夢を見た時は、

毎回、目が覚めて、それが現実なのか、夢なのか、が分からないほど、夢の世界に入り込んでいたりします。それほど私の心をわしづかみにするのです…

修行のレメディ?

 

祖母とは生前ケンカしたり、むかついてたことも、三日経つと何で怒ってたかを完全に忘れてしまうほど、たいした問題ではないことでした。

自分が人からどう思われてるかということは一切無頓着で、又忖度もせず、我が道を行く人だったのですが、(ある意味自由人)

振り返ると、こちらの心を試されるというか、リトマス試験紙のような、ホメオパシーのレメディのような、そんな人だったなぁと思うのでした。

こちらの心が本当の意味で平安なら、祖母に何を言われても感情的に反応しなかったんだと思います。(そんな悟り人にはなかなかなれませんが)

家族の事情から3人の子供の家を転々とすることになったのですが、見事に、祖母が行った先のそれぞれの家族がある種崩壊して仲悪~くなっていくのです。

孫として、はたから見ていて、こんなことを言ってはなんなのですが、

その周囲の人間の変貌ぶりが、

興味深かったです。

 

祖母がそれぞれの家族を転々としたことは、表面的に見ると「おばあちゃん可哀そう」だったり、「なんであそこの家族が面倒みないの?」とか色々あったのですが、みんなで台風経験をちゃんとシェアしたようで、私は良かったなぁ~と思っています。

(可愛すぎ~♪)

昔はお華の先生をしていて、私が子供の頃はいつも美味しい料理を作ってくれていました。又近所の人にお菓子作りを教えたり、60歳を過ぎて習い始めた粘土人形作りもすぐに上手くなって人に教えていたり、すごくクリエイティブな人でもありました。

私も祖母が習いたくても唯一出来なかった洋裁を趣味にしています。(へたですが最近は気に入るものが作れるようになってきました)

カウンセリングの仕事でもクライアントさんのクリエイティビティの発揮を応援することが多かったりします。

子供の時に見ていた祖母の背中を今でも追い続けているような気がしています。

 

(今回書く予定だったプロセスワークのグループワークの話は又別の機会に…)

 

告知です↓普段すこしタブーにしていることに関して話す場です。

 

4月1日よりデスカフェサークル・オンラインを立ち上げました。毎月1日20時スタート。お家に居ながらお気に入りの飲み物を片手に、死やグリーフに関して話したい方のご参加をお待ちしています。

5月12日(日)「母の日・記念日に想う私たちのグリーフ」というテーマでグリーフワークの会を行います。中目黒にて。気になった方は是非、ご参加ください。

↑どちらもFacebookのイベントのページです。
Facebookをされてない方は、こちら へどうぞ。(近々の開催イベントを載せています)

藪の中

 

こんにちは。ひろみです。

 

「藪の中」✨

 

芥川龍之介さんの小説です。

初めて読んだときはとても衝撃を受けました。

 

ある男が盗人に妻をてごめにされます。

 

翌日、その男の死骸が藪の中から発見されます。

 

死骸をめぐって、

誰が男を殺したか。

 

というのを各人の証言から見ていきます。

 

男(死んでいるので霊体として「自殺した」のだと証言)、 妻、盗人、

それぞれが自分が殺したと証言します。

 

みな異なる証言をするので、本当のところ誰が殺したのかわかりません。

 

真実は藪の中。✨

 

ただ男が死んだという事実がそこにあるだけです。

 

 

その出来事に対して、三者三様の解釈があります。✨

 

感情や心理によって真実はいくつもの姿を呈するのです。✨

 

 

人生に置き換えると、

 

何か出来事が起こったときにそれを

どう捉えるか、解釈するか、✨

 

によって事実が変わってくる✨

ということになります。

 

 

そもそも現実は自分が見せている幻影であって、

真実みたいなものは存在しないのです。

 

そこにあるのはただ、解釈だけ。✨

 

 

歴史は語られた時点で物語になるように、

人生もまた語った人の物語。✨

 

どんな物語にしたいのかは自由で、

現実に何を創造するかも自由なのです。✨

 

それって、とてもすごいことだと思いませんか✨💛😆

 

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