コロナと共に生きる

 

最近のジャーナリズム記事やSNSなどを読んでいると、コロナへの意識も徐々に

「コロナを回避する」から「コロナと共に生きる」というように変わってきているような気がします。

 

 

このウィルスの蔓延がいつまで続くのか分からないまま、経済活動をいつまでも止めておくわけにもいかないし、

時間が経つにつれて必然とコロナウィルスが日常にある環境に私たち人間も慣れていくような気がします。

 

(そもそも、ウィルスは今までも身近にいて存在するものなのでコロナが特別なわけではありませんが。)

 

 

ウィルスを敵として戦うのではなく、私たちの一部として捉えて共存するような体験を一人一人がすると、

コロナも役割を終えていつの間にか話題にものぼらなくなるかもしれませんね。

 

 

 

ある国では医療崩壊を防ぐために、ロックダウンではなく、ゆっくりと国民をコロナに感染させて免疫を獲得させていく政策をとっていたようです。

 

 

 

 

「健康」とは、ウィルスにかからないことではなくて、ウィルスが身体に入ってきたときに自分と自分でないものを区別して外に押し出すことができるかということで、

自己と他者を区別して必要ないものを排泄するのが免疫力なのだと思います。

 

 

自分にとって「健康」とは何なのか?

それぞれが捉え直すことができて、ウィルスに感染することも自分に必要があって感染するのだと思えたら、今ある恐怖の半分くらいはなくなるんじゃないのかな。

 

 

自己と他者を区別するというのはウィルスだけではなくて、見るもの、聞くもの、感じるもの、

全ての情報もそうで、

私たちは五感から入るたくさんの情報のなかで、常に ”何が自分で、何が自分でないのか” を識別しながら生きているのだと思います。

 

自分以外は自分ではないということ。

 

そしてそれを判断するには、他の誰でもない自分。自分への信頼をつくることが大事ですね!