呼吸のお話①

皆さん
こんにちは!

元気ですか〜?

生きてますか〜??

息してますか〜???

(ジャイアント馬場風)

という訳で、、、

今日は呼吸を甘くみると、命のムダ遣いになりまっせ
というお話をしたいと思います。

 

 

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人生初の伊勢神宮へ

愛知県の実家に帰省中、お隣の三重県伊勢市にある伊勢神宮へご参拝してきました。

東海人なのに、恥ずかしながら人生(たぶん)初のお伊勢参り。

たまたま観たテレビで、お伊勢参りの詳しい解説などされていたので、その解説通りに参ってみましょう!と家族を誘って行ってみました。

伊勢神宮の参拝の仕方は

二見興玉神社(海で禊ぎ)

外宮(豊受大御神がお祀りしてある)

内宮(天照大御神がお祀りしてある)

金剛證寺(黄金づくしの世界)

がオススメルートだそう。

 

 

まず訪れた二見興玉神社は、

白波打ち付ける大きな岩と小さな岩が大注連縄で結ばれた夫婦岩(めおといわ)がシンボルです。

(↑夫婦岩)

 

昔の人々は参拝の前に、禊ぎに訪れていたというこちらの二見ヶ浦。

砂ではなく砂利なので、すご〜〜く海水の透明感が高く、綺麗なんです!

全然海に入るつもりはなかったのに、自然と靴を脱いで波間で遊んでしまいました。

(↑二見ヶ浦)

そこから車で走ること20分。

外宮は豊受レストランで馴染みが深くなった豊受大御神がお祀りされています。

(↑外宮前にて)

神宮の中にある全ての建物を20年に一度建て替える式年遷宮はおよそ1300年もの間、続いてきたというから驚きです!!(室町時代に120年程、中断したことがあるそうですが)

何故20年に一度と決められているのかは、聖武天皇の命だから、とか技術伝承のためだとか、耐用年数の問題から、とか諸説あるようですが、

これだけの建物、

これだけの数、

これだけの完成度、

これだけの美しさを、

様々な歴史や状況があった中でも続けてこられたということだけでも、いかに日本という国が奇跡的な存在なんだなぁと想わずにはいられません。

 

そしてまた車を走らせること20分。

いよいよ内宮へ。

(↑大鳥居)

(↑宇治橋)

(↑五十鈴川で手を清める)

(↑正宮前にて)

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、天照大御神をお祀りしている正宮では、個人的なお願い事は慎まなければなりません。

世界の平和を祈念し、感謝することがよしとされています。

(個人的なお願い事は、同じ内宮にある荒祭宮でお願いします)

 

至るところに、樹齢何百年級の巨木が立ち、久しぶりに木立の先端が高過ぎて見えないような木に出会いました。

お盆シーズンで多くの人出で賑わっているにも関わらず、杉や檜や楠の巨木の周りだけは、時が止まっているかのような静の空気をまとっています。

ああ、精霊っているんだ。パワースポットって木があるところのことを言うんだなと思いました。

人間とは違う単位で生きている木や石たち。

もしも会話ができたのならば、人間たちの必死なお願いことってどういう風に聞こえているのだろう。

人間よ、がんばれ〜*\(^o^)/* (笑)

って思ってたりするのかな、な〜んて思ったりしました。

 

とにかく美しい!!

とにかく神々しい!!

とにかくひっろーい!!

間違いなくパワースポット!

日本に生まれて良かった!

日本のことが益々好きになった!!

という私のお伊勢参りでした。

 

ところでこの道中で、メッセージを受けたような出来事が、、。

二見ヶ浦で、息子とじゃれ合い、ふざけて上から下にいる息子に松ぼっくりを思い切り投げつけてやろうとした時に、右腕にはめていた数珠がスルリと抜いて、飛んでいってしまいました。

 

4年程一緒に過ごしてきた水晶の数珠ちゃんが、、!

(ちーん、、、)

 

ふざけていても、上から人様に向かってモノをぶつけるものではありませぬよ。

(←四十路になってもお調子に乗りやすい私♡)。

息子をもっと大事にしなはれ。

(←家族の中で若干扱いが雑だった?)

というメッセージだったように思います。

 

水晶さん、ありがとうございました。。

息子よ、以後、気を付けます!!

 

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

(二見ヶ浦にて。二羽の鶴のような雲)

 

 

 

引き寄せの法則、発動中?

こんにちは。

モリーです。

 

最近とみに引き寄せというか、言葉にしたことが

現実として目の前に現れやすくなっているのを感じます。

大きなものから小さなものまで。

 

義母との関係では特にそれが強いように感じます。

愛媛に住む義母は、たまに野菜や食品を送ってくれたりするのですが、私が買い物リストしてあったものが、

義母から送られてきた段ボールの中から出てくる、ということは偶然かもしれませんが何度も何度もあります。

元々感度・霊性が高そうな人なので、言わずとも分かりあえるということが多いように思います。

寅子先生は、ものつくりには作り手のエネルギーがこもる。(からいいエネルギーで仕事をしなさい)ということをおっしゃいますが、

義母からの荷物や行為の端々に、義母からの無言のメッセージを感じるのです。

様々な不安があった中でも結婚を決意したのは、この母の息子さんなら大丈夫と思えたことは、夫には内緒にしていることです(笑) 。

 

半年ほど前には、四角いダイニングテーブルを買おう!と家族会議で決まった翌日に、

友人から“テレビ要らない?

”私:“ありがとう。要らないならもらおうかな。

“友人:“ついでにダイニングテーブルは要らないよねー?

”私:“ええっ?形はどんな感じ?”

友人:“6人用の長方形の…”

私:“く、ください!”

というやりとりがあり、ダイニングテーブルを買おう!を口に出した翌々日には、何故か我が家にダイニングテーブルが来ていた、ということがありました。(友人旦那様、ありがとうございました。)

実は昔にインテリアコーディネーターをしていたので、わずかながらインテリアにはこだわりがあり、ダイニングテーブルのような大物を見ることもなく家に入れてしまうのは不安があったのですが、これはもうお導き?と思い咄嗟に“く、ください!”と言っていました。( ´∀` )

奇跡的に、ダイニングテーブルは10年前からそこにあったような馴染みようで、家族で大事に使わせていただいております。

 

最近あった出会いは、小さなキーホルダー?ストラップ?なのですが、、。

最近の私の関心事が、ハーネマンの時代に使っていたような、ガラスの瓶に入ったレメディーでして、、

ホメオパシー自体も素晴らしいけど、あの木箱の中にズラリと並んだ小瓶が好きだなと思っていました。

素敵なガラス瓶が木箱から出てくるのって素敵だな、そんなのが欲しいなと思っていたのです。

もし友達がそんなものを使っているのをチラッと目にしたら、

“それは何?”

“自然治癒力を発動してくれる素晴らしいものなんだよ。ホメオパシーという自然療法で使うものなんだ”

“ホメオパシーって何やらいい感じ♡”

という会話が自然にできていいなぁと思い、

そうだ!素敵な木箱をつくろう!と妄想していました。

自分で木箱を買ってきて、サイズ感や手触りなどあれこれ考え、

次に、木材の端材を何かに活用できないか思案していた知人に連絡を取り、イメージ図を送って木箱のサンプル製作を依頼しました。

ガラスの瓶は、ネットで探しましたが、なかなか適当なものが見つからず、コルクの栓の付いた小瓶をひとまず買おうかと思っていた矢先に、たまたま落とし物が手元に舞い込み、、、(小瓶はバイトで働いている近所のお宮の中で見つかりました。)それがまさにネットで買おうとしていたものだったのです!!

(モリー興奮)

 

私の手元に舞い込んできた小さな小瓶、、これは木箱を作ってお売りなさい(=ホメオパシーを広めなさい)というメッセージに思えて仕方がありません!!!

(モリー大興奮)

 

これがホメオパシー埋蔵金になるかも!(←9期のライン参照)と思っているのですが、どうなんでしょうか??

いや、なります。

なるに違いない!

ならせますとも!!

 

 

ドドーン!!

 

 

ただの偶然?

それとも引き寄せ?

今は分かりませんが、引き寄せ力、もしくはその感知する力がついてきているのかな?と思った出来事でした。

皆さんも何か引き寄せたことがあればシェアして、

ぜひ一緒にワクワクさせてください♪♪♪

どんな世界で生きるか

いろんな人がいて、いろんな風に世界をとらえて生きています。
私が最近ずっーと考え続けていることは、自分も含めて“その人がどんな世界で生きているか”ということです。
思い癖、思い込み、ともいえるかもしれません。
まさしくインチャというフィルターを通して作り出すその人だけのワンダーランド!
 
後悔の世界で生きている人、
競争の世界で生きている人、
悲嘆の世界に生きている人、
諦観の世界で生きている人、
自己憐憫の世界に生きている人、
自己否定の世界に生きている人、
攻撃の世界に生きている人もいると思います。
 
はたまた、、
受容の世界に生きている人、
感謝の世界で生きている人、
利他の世界に生きている人
など暖色系の世界に生きている人もいます。
同じような体験をしても、
同じ話を聞いていても、
住んでいる世界が違うととらえ方が全く違っていて、
どう受け止めるかによって、
こんなにも受け取るものが違うんだと驚くことがあります。
 
よく私の恩師が言っていた “人は聞きたいように聞く” というのが分かる気がする今日この頃。
日々唱える般若心経がじわじわと自分の中にしみ込んできて、、
繰り返し語られる“空(くう)”ということを頭ではなく心で分かり(始めた、と言いたいですが、、)たいと思っているからなのかもしれません。
受想行識全てが実体のないもの=“空(くう)”であるということ。
実体がないがゆえに、
“あるように見えているもの”=事象や目の前にで起こる出来事は、その人の心が如実に反映されているということ。
そして、どうやらその世界は何も意識しないままでいると
[←ココがたぶん重要!]
色濃くなっていく傾向が強いようだ、と感じています。
 
翻って自分自身のことを考えると、私はたぶん自己卑下の世界に生きていたので、“わが魂を痛ましむる“私自身であったと思います。
そんな気付きを得て以来、周囲を見渡してみると、自分を自分で押さえつけて、型にはめて、小さく生きている人がなんと多いことか!!
自分で作った見えない檻に囚われることなく、軽やかに生きて行きたいと思います。
般若心経現代語訳、ご存知でしょうか。
寅子先生の訳もあるのに怒られるかもしれませんが、
私は結構好きですYah~!()
 
———————————————
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。


見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。


揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。

先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。

勘違いするなよ。
非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、
それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。

気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。

いいか、耳かっぽじってよく聞けよ? 

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』
『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』
心配すんな。大丈夫だ。

 
“全ては此処にある”

お片付けにも効く⁈ホメオパシー

心と身体が繋がっているように、
空間(家や部屋)と人の関係も
ほぼリンクしているようです。
 
先日面白いことがありました。
私は、結構片付け好き掃除好きです。
が、すぐに散らかします。
忙しくなってきて心がざわついている時には、
部屋も荒れていて、
部屋を片付けると心もスッキリ片付きます。
 
掃除好きが高じて、
最近はお家の断捨離やお片付けをお手伝いさせていただくことがあるのですが、
それにレメディーが効いた!ということがありました。
 
ある女性の方は片付かないというお悩みがあり、お片付けのご依頼をいただきました。
数回のお片付けで徐々に部屋は片付いてはいくのですが、
何となく、“核心に触れてない感“を残したまま数回のお片付けが終わっていきました。
(毎回、場の浄化のためにリフレッシュメントスプレーは使っていました)
 
ある時、“心も身体も辛いから今回はキャンセルさせて”、と連絡がきたのですが、
これは無意識のヘルプ!という意味だなと感じたので
“お片付けはキャンセルでいいので、もしよければお話を聞かせてください”と返事をすると
やはり来てほしいとのことで、
お宅にお邪魔することになりました。
 
すると、心の内を少しづつみせてくださり、
実は家族との問題があり、辛かったんだということを語ってくださいました。
お話を伺って必要と思われた
AconStaphHiyokoを摂っていただくと、
数十分と経たずに目の輝きが増し、顔色は良くなり、
ゴミ捨て場にゴミを運びだしたり、
“なんか身体が軽い!”と
モノであふれたお部屋の断捨離がぐんぐん進んでいきました。
それはまるで、長年身体に溜まっていた老廃物がポロポロと剥がれ落ちていくようでした、、、!
 
そして、“生家の家族と揉めた昔の経験から、今は夫と喧嘩になるのが嫌で、もったいながりの夫の言うことを我慢してきいていた。”ということもお話してくれました。
 
最初はご自身のお母様への不信感がぬぐえない感じでいたのですが、
その日の断捨離で、たまたま開いた扉の中から
忘れられていた今は亡きお母様からのプレゼントが見つかりました。
十何年も発見されることなくお蔵入り状態だったものが、
心の内を明かしたその日にたまたま見つかるということが、
私から見ると、お母様からの“私は私なりに大事に思っていたんだよ”という
声なきメッセージだったように思えて仕方ありませんでした。
 
そして翌日、、、
“(レメディをのんだことと関係があるのかわからないけど)熱が出た”
というお知らせがあり、
更にさらに、、
ずっと始めたかった新しいことにチャレンジされるという
嬉しいお知らせもいただきました。
 
心⇔身体⇔お部屋がダイレクトに関係していることを目の当たりにして、
目に見えない心へのアプローチが、いかに
身体や空間への働きかけとして
有効かということを学ばせていただきました。
ホメオパシーって本当にすごい!!
 
自分自身はまだまだ不要なものを持ちすぎていると思うのですが、
いつかリュック一つで世界中を旅するスナフキンのようになりたいものです。
何でも自分のものにして持って帰ろうとすると
難しいものなんだよ。
ぼくは見るだけにしてるんだ。
そして立ち去るときには
それを頭の中へしまっておくのさ。
その方がかばんをうんうん言いながら運ぶより、
ずっと快適だからね。“
 
ありがとうございました。

祖父の影

私は今セラピストとして人様の身体に触れてケアをすることを天職と思い、仕事をさせていただいていますが、私の根幹には祖父の存在があります。
祖父は周囲からはちょっと変わった人だと思われていたけれど、今思ってみれば、すごく徳の高い菩薩様のような人でした。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を地で行くような人で、
小さな借家に住み
東に病気の子どもがあれば看病に向かい、
西に家を無くした家族があれば自分の家に住まわせてやり、、と
周りの人を惜しみなく時間と情熱を傾け助けていました。
自然を愛し、人を愛し、等身大の生活を大事に生きていたように思います。
一点だけ変わった点があったのは、御浄霊と言って、「手かざし」信奉者で、病気も怪我も手かざしで治そうとしていたところです(特定の宗教ではなかったようです)。
私も家族もよく祖父から御浄霊をしてもらっていました。
遊びに行くと、ふと気づくと遠くからでも手をかざされていました。
そのせいなのか、祖父の家はとても居心地がよく、不思議とみんな気持ちよく寝入ってしまうことが多かったのは、今考えてみれば、祖父の御浄霊でα波のリラックス状態になって居たのだと思います。
あの祖父の家で感じた、暖かな春の日差しの中にいるような幸福感に包まれた状態が、今私が仕事で目指すべき方向なのかなと思います。
私が肺炎になった時にも、車酔いした時にも手をかざされるとふと身体が軽くなり、呼吸が楽になりました。
自分の娘(私の母)が大腸がんになって手術することになっても、最後まで手術ではなく手かざしで治そうと勧めていたので、周囲は若干(いや、かなり?)閉口していた感はありましたが、、、。
その話はもう20年以上も前の話で、今になってみると、物質だけでなくその取り巻くエネルギーの重要性にも気付くのですが、その当時としては祖父は変人以外の何者でもなかったので、時代の3歩くらい先を行き過ぎていて残念だったなと思います。
スプーン曲げをしてみせてくれたり、梨を手刀でスパッと割ったりと、驚くようなことをしてくれたりもしました。
私もホメオパシーを始めてからは、家族も含めて周囲からは変人と思われるようになっており、理解されないもどかしさや不甲斐なさ、若干の孤独も感じますが、気付けば祖父がしていたことと同じようなことをしている時があり、祖父の存在をより身近に感じられるようになって、とても嬉しかったりもします。
最後に、‘‘そういうものに私はなりたい‘‘宮澤賢治の雨にも負けずで終わらせていただきます。
ありがとうございました。
 
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
 
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

はじめましてMolyです

はじめまして。
鎌倉でセラピストとして働いておりますMoly(モリー)です。
私はホメオパシーに出会って6年経ちます。
皆さんいろいろなきっかけで、ホメオパシーという一見魔訶不思議な世界に入っていらっしゃると思うのですが、私の場合は、夫が摂った一粒のレメディでした。
元々子どもの一人が乳児湿疹がひどく、友人の勧めで私の食べ物を変えたことで、ジュクジュクだった肌が1か月でツルツルピカピカの肌に生まれ変わり、食べ物が身体へダイレクトに影響していることを、子どもが身をもって教えてくれました。
それから自然療法に興味を持ち始め、アロマテラピーや中医学、免疫学について、代替医療の専門家の先生(CHhomの前身であるRAHの卒業生)の元で、本格的に代替医療について勉強し始め、ホメオパシーに出会いました。
常にストレスフルでワーカホリックだった夫に、軽い気持ちでStaph(スタッフィサグリア)を一粒あげた(というより盛った?笑)ところ、一晩中下痢と嘔吐が止まらなくなり、たった一粒のレメディーがヒットすると、その人が信じる信じないに関わらず(夫は全く信じていなかったので)、とんでもなく作用することを目の当たりにしました。
そして”目には見えないけど そこに確かにあるもの”を信じるようになり、その魔法のような力にワクワクしながらホメオパシーにのめり込んでいきました。
勉強を進めるうちに、、
本当は自分で治す、
自分で変わる力って、
み~んな持ってる!
それを忘れているだけだ!
ということが確信に変わっていき、人の心身の健康に役立てる”癒す”仕事がしたいと思うようになり、未経験のままリラクゼーションの仕事に勇気を出して進むことにしました。
大学卒業後はインテリアメーカーで、営業や印刷関係の仕事をしていたので、全く畑違いの分野への挑戦は、いろんな意味でハードルが高かったのですが、、
結局大手リラクゼーションサロンで3年強勤務し(現在は独立して個人で開業しています)、これまでにのべ1000人以上の方の身体をケアさせていただきました。
私は特にリフレクソロジー(足裏反射区療法)が一番好きなのですが、
身体は、いろいろなメッセージを発しています。
 もう限界、、
 (元気そうに見えても)
    ほんとは疲れてるんだ、、
 いつも気疲れ、、
 ちゃんと眠れてないよ、、
 神経張ってます、、
 女性器系の問題が、、
などなど。。
リフレクソロジー(ツボ・経絡も)は、解剖しても見えない何かで足裏や手のひらと全身は繋がっており、
足裏を刺激することで、そこに対応する内臓や部位を活性化すると言われています。
そして多くのお客様の身体をケアするうちに、足裏↔︎内臓という身体同士だけでなく、
身体↔︎心も関係しているのでは、、?ということが何となく分かってきて、、
さらに〈小宇宙である人間〉について知りたくなり、インナーチャイルドセラピストのコースも受講しました。
まだまだ発展途上の私ですが、ホメオパシーとリフレクソロジーなど
自然治癒力を優しく発動させる方法で、家族や友達だけでなく、より多くの方の心身の健康に貢献し、多くの方が自分の力を取り戻すお手伝いができれば、こんなに幸せなことはありません。
最後に私の大好きな金子みすゞさんの詩を、、
星とたんぽぽ
 青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように、
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
   見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。
 ちってすがれたたんぽぽの、
 かわらのすきに、だァまって、
 春がくるまでかくれてる、
 つよいその根はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これからもよろしくお願い致します。
⁂Moly⁂