祖父の影

私は今セラピストとして人様の身体に触れてケアをすることを天職と思い、仕事をさせていただいていますが、私の根幹には祖父の存在があります。
祖父は周囲からはちょっと変わった人だと思われていたけれど、今思ってみれば、すごく徳の高い菩薩様のような人でした。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を地で行くような人で、
小さな借家に住み
東に病気の子どもがあれば看病に向かい、
西に家を無くした家族があれば自分の家に住まわせてやり、、と
周りの人を惜しみなく時間と情熱を傾け助けていました。
自然を愛し、人を愛し、等身大の生活を大事に生きていたように思います。
一点だけ変わった点があったのは、御浄霊と言って、「手かざし」信奉者で、病気も怪我も手かざしで治そうとしていたところです(特定の宗教ではなかったようです)。
私も家族もよく祖父から御浄霊をしてもらっていました。
遊びに行くと、ふと気づくと遠くからでも手をかざされていました。
そのせいなのか、祖父の家はとても居心地がよく、不思議とみんな気持ちよく寝入ってしまうことが多かったのは、今考えてみれば、祖父の御浄霊でα波のリラックス状態になって居たのだと思います。
あの祖父の家で感じた、暖かな春の日差しの中にいるような幸福感に包まれた状態が、今私が仕事で目指すべき方向なのかなと思います。
私が肺炎になった時にも、車酔いした時にも手をかざされるとふと身体が軽くなり、呼吸が楽になりました。
自分の娘(私の母)が大腸がんになって手術することになっても、最後まで手術ではなく手かざしで治そうと勧めていたので、周囲は若干(いや、かなり?)閉口していた感はありましたが、、、。
その話はもう20年以上も前の話で、今になってみると、物質だけでなくその取り巻くエネルギーの重要性にも気付くのですが、その当時としては祖父は変人以外の何者でもなかったので、時代の3歩くらい先を行き過ぎていて残念だったなと思います。
スプーン曲げをしてみせてくれたり、梨を手刀でスパッと割ったりと、驚くようなことをしてくれたりもしました。
私もホメオパシーを始めてからは、家族も含めて周囲からは変人と思われるようになっており、理解されないもどかしさや不甲斐なさ、若干の孤独も感じますが、気付けば祖父がしていたことと同じようなことをしている時があり、祖父の存在をより身近に感じられるようになって、とても嬉しかったりもします。
最後に、‘‘そういうものに私はなりたい‘‘宮澤賢治の雨にも負けずで終わらせていただきます。
ありがとうございました。
 
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
 
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩