出産と子供と神代文字

久しぶりの投稿です。

突然ですが、

うちの子供は11月11日が誕生日です

先日夫と3人で、ささやかにお誕生日会をやりました。

とはいっても、ヴィーガンやマクロビオティック的なお店で外食をするだけですが、子供はケーキを食べられる絶好のチャンスなので、本当に嬉しそう💓

と言うのも、うちは外国的なお祝いは一切やらないので、そう考えるとケーキを食べられるなんて事は、本当に今のところありません。

年に1回、子供の誕生日くらいです。

 

子供は親を選んで生まれてきてくれると言いますが、正直、子供を授かれたことが本当に不思議でなりません。。。それでも

衣食住を根本から学び、変えた事が

授かれた結果だと考えると、その変化は本当に大きかったと思います。

こんな事を思い返すのも、先日、学校でホメオパシー的助産学を勉強した事がきっかけでした。

 

出産の前日に微弱陣痛が起こり、出産を希望していた助産院から、自宅が遠かったため、まぁそのまま居てもいいよ、と言われ。

結局、日をまたぎ11日の深夜1時ごろから本格的な陣痛が始まりました。

その後はいくら力んでも、全く出てこなくて、、、

分娩台の無理な姿勢で体は疲労困憊し、結局最終的には、鉗子分娩で出産となりました。。。

生まれてきた直後の子供は、誰が聞いてもわかるような、怒ったような泣き声を20分以上継続し続け、いざカンガルーケアをしたとしても、目も合わず。

赤い顔をして、怒り続けながら泣く子供を、ぼう然と見つめた思い出があります。。。

本当に悲しかったです。。。

 

今思うと、もっと心にゆとりを持って、ホメオパシーのレメディを使いながら

産まれてくる子供の気持ちを察しつつ、ゆっくり自分の産みやすい体勢で、出産出来るようなところでも良かったと思っています。

(ですが、当時の私はホリスティックといってもアロマテラピーぐらいしかわからず、結局は薬を飲まないと症状は治らないと思っていたので、後の祭りです💦)

そんな事もありましたが

無事、先日4歳の誕生日を家族で祝い、たいした病気もせず、すくすく健康に育ってくれる子供に感謝感激。

そして最近、保育園で3歳児でも文字の書ける子供がいるようで、うちの子供もかなり刺激を受けています。

とは言っても、私は正直驚いています。

いくら兄弟がいるにしても、3歳で字を書けるって、どういうことなんだろうと思っていました。

うちの子供は写真のようにホツマ文字のような書体を好んで描いています。

3歳の頃は十字のようなものを羅列することによって、文字だよと言っていましたが、4歳になって、ホツマ文字のような書体になってきている事に、これまた驚いています。

できれば今、現代で使える日本語をまだ教えずに、神代文字を見せてみて、子供が書いている字に似てるよね〜っていう所から、教えてみたいなと思っています☆

それで子供が納得してくれれば良いのですが。

早くも優秀インチャが芽生えているのか、自分も文字を書きたい!と言っています。。。

子育ては親育て。

考えさせられる日々です。

 

 

魔界の入り口⭐︎

こんばんは☆

今回は夜に見てもらえると?!しっくり来るような内容で、お送りします☆

前回の続きからです。

スキオで毎晩、おばあちゃんにセラピーをしていましたが・・・

私が最後、施設を訪れた2日後の朝

おばあちゃんは、静かに息を引き取りました。

 

もうすでに何ヶ月も前から、食事は出来ていませんでした。

なので、私は

面会時には常に、Carb-v. とArs.をおばあちゃんに与えていました。

前者は、蘇生のレメディーです。

後者は・・・滞りなくあの世へ行ける、レメディーです。

生と死。

対極ですが、でも、おばあちゃんは92歳ながら

私の与えたレメディーにいつも敏感に反応し、そして

・・・最後は自分でどちらに反応するかも、決めていたと思います。

 

ホメオパシー的に言うと

うちは梅毒マヤズムの強い家系のようです。

 

私は19歳の頃を皮切りに父、祖父、母、祖母の順で見送りましたが・・・

癌に脳梗塞、アル中にうつ病、心不全に肺炎と、それぞれ本当に凄まじい最後を

見届ける事もありました。

当時は受け止めることが、本当に辛かったです。

その度に

もっと自分ができる事があったんじゃないか?!

と無力な自分を責める時も多々あったのですが・・・。

 

最後、おばあちゃんに関しては

ホメオパシーの恩恵を1番もらうことが出来て、自然治癒力の素晴らしさを

本当に感じる瞬間が、何度もありました。

 

さて、おばあちゃんが亡くなってから

遺骨は私の自宅に持ってきて、供養することになりました。

毎日、おばあちゃんの気配を感じるのが幸せで・・・

でも、それを忘れかけている時も

お線香の香りがふと、するんです。

あ!おばあちゃんが側にいる・・・♡ と、反応する日々でしたが

 

四十九日が近づいて来ると、徐々におばあちゃんのいる感じが減ってきました・・・。

別れの予感ではないのですが・・・、段々と、面白いくらいにおばあちゃんの気配が感じられなくなっていました。

 

そんな時に、三茶で魔界の学校を主催している

占い師の西さんのお話し会に行く機会がありました。

彼女は幼い頃から石と意思疎通を取ることが出来ていて、幼い頃から霊界の入り口が分かった、と言っていました。

すごいですよ!

石と会話が出来るんです!!

(でも、9期にもそう言う人、何人かいますね・・・笑)

そんな彼女は、以前お付き合いしていた方が亡くなった後から、その彼とたまにコンタクトが取れるようになり。

霊界はどうなっているのか、お話を聞いていくと

死んで霊界に行ったら、段階別に個々の役割があったり

そこから位が上がると、守護霊のような事ができるので

その、亡くなった人と繋がれる人には、ガイドが出来ると言っていました。

 

なので、西さんのように

あの世の事も、この世に生きながら理解出来るようになったり、

自分のガイドが元彼だったりもするようです。

 

私は正直、家族を次々と亡くしましたが

大切な友人も含め、最愛の人が・・・と言う状況には陥ったことがありません。

でも、おばあちゃんに関しては特に深い繋がりを感じます。。。

それは、実は赤ちゃんの頃から、私は感じていました。

 

なので、おばあちゃんを

これからも供養していくことで

彼女が私のガイドとなり、

霊界にいてもコンタクトが取れるようになりたいと、本当に思いました!

 

この人生も、自分で選んできたんだよ!と言われれば…

それもだんだん、納得できる自分になってきました。

(インチャ癒しのお陰ですね…)

ホメオパシーの学校に通うようになってから

出会う人のレベルも本当に変わっていて

先日も、植物と話せます!と言う方にも出会って、地球や植物の想いを聞いたり…

(あら、植物とお話しできる人も9期にいたような…)

まだまだこの世には、すごい人が沢山いるんだな♡と思います。

それと共に

本当にすごい時代に入ってきたなとヒシヒシ感じます。

この先も楽しみですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんと娘と。


8月1日の新月から、何だか沢山のギフトを用意してもらい、私にとって怒涛の1週間となりました〜。。。

お試しきたよ、お試し。

 

娘を連れて二人で夫の実家に帰り、数日が過ぎた頃

おばあちゃんの入院先から、危篤との連絡が。

(命が)もって今日、明日かもしれません。反応が無く、肩で息をしているような状況ですので。

と言われたものの・・・

娘はやっと、何ヶ月も待ちに待ったじいじとばあばに再会中。

何だか分からないモヤモヤとした気持ちが胸に広がりました。

 

インチャ癒ししかり、般若心経しかり、

今年に入ってからご縁があった、並木さんの統合ワークを取り入れ始め

心の乱れは統合〜!!!とひたすらブレない自分を意識して

やってきていた!つもり。

だった。

という事にも、しっかり気づかされる程の落胆を味わいました。

でも、

現実はスクリーン。

と思い直し

冷静に兄弟や親戚へ連絡を入れ、何が起きても大丈夫と言う状況を準備しました。

思えば2年前、本当は肺炎で亡くなっていたかもしれない時

ホメオパシーでおばあちゃんが復活した奇跡がありました。

頑張って生き抜いてきたおばあちゃんを思うと、涙が溢れ・・・となるかと思いましたが、

本当の最後の時が来るまで、私も頑張ろう!と自然と思えました。

不思議。すごいな〜と思っていたら

そのまた次の日にお試しが・・・。

 

娘が夕方、ソファの肘置きに座ってテレビを見ていたと思ったら

そのままゴロンと落ち、ギャーーー!と叫び声が。

私は何と無く、とっさに危ない!と叫んでいましたが

なかなか自分で起き上がってこない娘の状態を予測しながら駆け寄ると

見事に顔一面、血で染まり、周りにも流血していました・・・。

幸い夫のお姉さんや姪も居てくれたので、すぐに救急で行ける病院を探し電話をしてくれたり。とても助かりました。

その間、私は娘にサポートAAA. Bell-p. Calen. Arn.などガンガン与え続け。

すると10分くらいで出血はほとんど止まり、眉間にパックリと割れた傷が見えました。

程なくして病院に着くと、娘は痛くない、と言い出し、ぐーぐー寝てしまったのです。

すごいなー。。。今寝かせて一生懸命、傷にVFが向かうよう仕向けてくれているんだ!とレメディーの恩恵を本当に感じました。。。

結果、5針縫いましたが

頭を打った後遺症も出る事なく、元気にしています。

私は自分もAcon.とれば良かったー笑と思いましたが、統合して、何とか乗り切れました。

 

さて、その後おばあちゃんは・・・危篤の電話が入った6日後も

生きてくれています。

夫の実家から戻るとすぐに、お見舞いに行きましたが

Carb-v. Ars. サポートHai くらいしか、正直思いつかなくて

酸素マスクをそっと外して、少し開いた口にレメディーを入れてみました。

すると、程なくして目が開き、笑ってくれたのです。

レメディーが美味しかったのかな。

嬉しそうに舐めている姿を見て、また涙。生きていてくれて、本当に嬉しかったなぁ。

ちょうど昨日はビル・ネルソン氏のスキオ講義だったので、

今朝、思いきっておばあちゃんに遠隔でスキオを使ってみました。

確かにもう悪いところばかりでしたが、スキオのおかげで

その中でも、最もおばあちゃんが辛いであろう箇所がわかり。

本当にこれもまた凄いな、と。

明日、またお見舞いに行って、今度は腎臓、血、肺もサポートして

少しでもおばあちゃんの残りの時間を、楽に過ごせるように出来たらと思います。

9期のみんな

何度もおばあちゃんが危ない時、色々と教えてくれて、助けてくれてありがとう!!!

あの時が無かったら、もっと早くおばあちゃんは空に帰っていたんだろうとしみじみ思います。

本当に、全てに感謝!!!

 

 

 

 

 

6月の京都

6月は娘を連れ、京都に行ってきました。

通っているChhomの学校の

食と農業を考えるシンポジウムが開催される為、以前から一度は行ってみたいと気になっていた事もあり、参加を決めました!

その後押しにもなったのが

私は夫と4年前の秋頃、比叡山延暦寺に行った際のご縁です。

当時はveganだった為、精進料理が出てくる宿坊に泊まるのは、私にとってはうってつけでした。

神社仏閣をお参りするのも好きだったので、軽い気持ちで訪れたのですが

大講堂の中の片隅に、子供を抱いた菩薩さまのような小さな仏像があり、何故か私はとてもとても、惹かれました。

その側にあった、子授け守りを頂いてくる事にしたのですが

結果、なんとその年の冬に、娘がお腹にやってきてくれたのです!

自然に授かれればいいよね、なんて言っていたら5年も経っていた私達の元に。

正直、びっくりしました。

その後、お礼参りをしたいと思いながらも何年も時は過ぎましたが、

今回のシンポジウムに参加を決めてすぐに、お宿探しをした所、すんなり延暦寺会館に宿泊が決まりました。

夫と3人で行こうとした時は、ことごとく空いてなかったのに!笑

素晴らしいー!行って良いのだ!

と感激しました。

そして娘と無事にお礼参りをして、高校時代からの親友にも再会し、シンポジウムにも参加が出来て、京都を散策して東京に戻る…という幸せな旅になりました♡

梅雨入りしてたのに、雨に見舞われたのは最初だけ!という奇跡も。きっと娘が晴れ女なんだなぁ。。

 

いざ栃木へ!

お久しぶりの投稿です。

前回の投稿は試験の直後だったんだ…と感慨深い気持ちで振り返っていましたが、明日は学校の追試試験日です。

私は予想通り追試だったのですが…

今日は一先ず、栃木県の鹿沼市に来ました!

柊というイタリアンレストランがあるのですが、ここのオーナーさんはとにかく現代版仙人のような、すごい方です笑

私たちのいかされいる生命の仕組みをしっかり理解されていて、地球に還すものは汚さない、磁場を整え、菌との共存を自分らしく進化させ続けている、本当に素晴らしい方です。

そもそも同じクラスのゆみちゃんが導いてくれたテネモスさんとのご縁で、今回は栃木まできて美味しいお料理と、オーナーの知恵を特別にシェアしてもらえるというスペシャルな時間を過ごしていますが、せっかく栃木まで来たんだから、今月は日光まで行って泊まろう!と思い立ちました。

私は月一回、旅をする事を自分に課しています。というか、したいのでしています。

意識って面白いですよね。最近本当に思うのですが、出来ると思えば出来るし、信じて疑わないから、人生がそうにしかならない。

とにかく決めちゃう。

お金が…とか思う暇もなく、準備されちゃうので、ありがたい事にこうやって来れているんだなぁと思います。

旅の理由は、日本の素晴らしさを感じたいし、あわよくば素敵な土地なら、引っ越したいと思っているからです。それに、磁場の良い所に行くのも好きです。

明日は日光から、金谷ホテルのお庭や近くの橋や神社、東照宮なんかも巡って来たいと思います。

明日の試験を受けると思っていたら、来られなかったであろう今日のご縁に感謝して、明日も楽しんでゆっくり帰ろうと思います。

昔の自分だったら、試験が気になっちゃっって、旅行どころじゃないよ‼︎

とか、言ってただろうなぁ…。

今の

この世的価値観を解放でき始めている自分が、大好きです☺︎笑

 

 

 

 

進級試験を終えて☆

本来ならば、明日、ブログをアップする日なのですが。。。

明日は、うちの姫さまとゆっくり過ごしたいので、頑張って更新しました☆

今日は進級試験がありました!

皆さまお疲れ様でした♡

結果、もしかしたら…私、追試かもしれません笑

が、大人になり

自分が学びたい!と思える事に

やっと出会えました。

自分の働いたお金で、学校に通えるという事。かつ、素敵な仲間たちと、切磋琢磨しあえるという環境は、とても贅沢だなぁー!としみじみ思います。

結果はどうであれ、興味と情熱を持って、生涯ホメオパシーを学び続けられる人生であったらいいな!と思っています♡

さてさて、

私とホメオパシーの最初の出会いは、9年前でした。

高校時代の親友が、ホメオパシーで治療をしていると言うのを耳にしたからです。

その時は、一緒にハワイに旅行に行っていて、大好きな自然派のスーパーを片っ端から回っている時でした。

そこで友人が、ミントが入った歯磨き粉が使えないんだ!とめんどくさそうに話していたので、大変な治療なんだねぇ…。と勝手にスルーしていました。

その次は、ビーガンレストランで働いている時、あるヒーラーさんがホメオパスでした。

ですが、朝日新聞のバッシング後ということもあったのか…、なかなか良いイメージの話は聞けませんでした。

そして3度目、妊娠後の皇居の勤労奉仕で、またまた違うホメオパスの方に出会い、体調の優れない時に、レメディーを頂きました。

今思えば、何度もホメオパシーに触れ合うチャンスはあったのに、ことごとく自分が察知してなかったなーーー苦笑

と言うことです。

人生って面白いですね♡

その後、娘を出産して、高野先生のところに通うようになって、やっとホメオパシーを自分でも、使ってみようと思えたのでした。

砂糖粒に、作用する情報が入ってると言われても、これが効くなんて、普通では信じられないですよね。

それでもやっぱり体験して、実感するとすごいなぁ!!!と思って。

とらこ先生の書籍を読み漁り、また感動して、感銘を受けて。

ハマってしまうんだなぁと。

副作用がない、と言うところも

とても魅力的だなと思いました♡

それでもなかなか、周りの人は怪しい、と、わかってくれないんですよねー!笑

分かる人が分かればいい、というスタンスで良いのかもしれません。

それでも、自分の知り合いくらいまでには、知っていて欲しい療法だなぁと

つくづく思うのです。

つづく

☆鈴木一未☆ 初めまして!

初めまして!

去年の4月から、ホメオパスを目指して勉強を始めました、鈴木一未です。

このブログで

子供に使ったホメオパシーの実例や、対処法、インナーチャイルドについて、自分の人生から学んだ事…など綴りたいと思っています。

まずは、お礼を一言。

運命的に出会えた仲間達と、日々刺激し合いながら学べる日々が、本当に幸せで有難いです。ありがとう!皆に心から感謝しています!!

 

さて、

ここに辿り着く前は、veganレストランのオーナーの秘書を約1年していました。

実際は秘書といっても、人手が足りなければお店に立ち、商品を開発し、メニューやチラシのデザインをしたり…。何でもやっていました。

この頃、皇居に勤労奉仕をしに行ったり、様々なヒーラーさんに出会ったり、スピリチュアルな事も沢山、学ばせてもらいました。

その前はファッション業界に約12年。

某セレクトショップから始まり、服に携わり続けたい一心で、販売も管理職もバイヤーもやりました。

しかし3.11があったり、歳を重ねるうちに、生き方に疑問を持つようになり、紆余曲折しながら、娘を授かる事が出来た事をきっかけに、一度全てを手放してみました。

初めての子育てに日々追われる中、娘に予防接種を受けさせる事に疑問が湧き、勉強を始めた事で、ホメオパシーに再会する事ができました。ですが当時の私は、その後の人生がこうなるとは、思ってもいませんでした。

単なる興味の対象でしかなかったホメオパシー、なのに。

知れば知るほど奥が深くて、いつの間にかハマっていました。

 

つづく