こんばんは。智(さとる)です。
テスト期間からずっと昼の仕事が忙しくて、明日も休日出勤せねばななか、
はたして今日中にUPできるのか?!・・・怪しいところです。
→できませんでした(笑)。
さて。前回、
「ライ麦畑について書く!」
と息巻いておりましたので、書きます。

僕はこの小説が高校時代大好きで、いろんな人に勧めまくっていました。
ちなみに、村上春樹は好きじゃないので、例のあれは読んでいません。
そのなかで、僕が好きな主人公の言葉があります。
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<ざっくりまとめるとこんなシーン>
退学になった主人公が寮から追い出されて家に帰ると、両親は外出中。
そこで仲のよい妹に放校になったことを告げます。
放校になったことを知ると妹は主人公に、
「お兄ちゃんは世の中のことすべてが気に入らないのよ」
と言います。主人公はそれを聞いて落ち込み、考えた末、自分がなりたいのは、ライ麦畑で遊んでいる子どもたちが、崖から落ちそうになったときに捕まえてあげる、ライ麦畑のキャッチャーのようなものだと妹に伝えます。
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シーンがわかったところでいってみよう。それ!

「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、
そこで小さな子供たちが、
みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。
何千っていう子供たちがいるんだ。
そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。
で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。
僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、
その子をつかまえることなんだ――つまり、子供たちは走ってるときに
どこを通ってるかなんて見やしないだろう。
そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、
その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。
一日じゅう、それだけをやればいいんだな。
ライ麦畑のつかまえ役、
そういったものに僕はなりたいんだよ。
馬鹿げてることは知ってるよ。
でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。
馬鹿げてることは知ってるけどさ」
(J.D.サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』白水Uブックス刊 より)
僕はこの台詞をみたとき、
「わかる!!」
と一人で何回も頷いたり朗読してみたりして、
とにかく、自分の気持ちを代弁してくれていると思って嬉しくなりました。
どこにいても、なんだかはみ出してしまう自分と、
主人公を重ねてしまったりして。
よくある「大人が子供のために書いた青春小説」みたいな
そこはかとないうそ臭さがなくて、きっとこのサリンジャーって人は
大人になろうとしたけどなれなかった人なんだろうなと思いました。
これは心屋仁之助さんでいうところの「後者」の文学だと思います。
これを書くにあたって、ネットでいろいろ調べていたら、
今年はサリンジャー生誕なんと100年に当たるそうで、1月の終わりから
「ライ麦畑の反逆児」という映画が上映されているそうです。
びっくりした!奇跡!
そして、もう一つ奇跡ですが、
この本が出版された日はくしくも僕の誕生日、7月16日です。
読むべくして!この!と驚きを禁じえないですが、
しれっと話題を戻します。
僕がインナーチャイルドセラピストの試験を受けたときと
そして、今回学校に入る入学試験のとき
(そうそう、前回の記事を執筆した鈴木さんと2人で受けたんですよ)
「資格とったらどうしたい?」
ときかれたんですが、いつも具体的にこうしたいなんてものは出てこないし、
ホメオパスになるかどうかもまだわからないんですが、
僕ができるのは、キラキラ自己実現系じゃなくて、
こういう、周りが見えなくなって崖から落っこちそうになってる人を、
さっと安全なところに引っ張り上げることだろうな、
とぼんやり思っています。
周りが見えないのは精神的につらくていっぱいいっぱいだから。
辛いっていうのは感情がわきあがったり、感情を乱す状況を引き寄せるから。
崖から落ちそうになるってのは、
そのままずばりうっかり彼岸に行きそう(=死にそう)な人。
そんな状態の人たちをしれっと此岸に引き戻す、
そんなことをするんじゃないかなとずっと思っています。
僕は相談会でも「世の中のためになるようなことは何一つしてやりたくない!」
といってしまうくらい嫌だインチャの塊なんですが、
実生活で
これでもか?!
というくらい精神的な問題を抱えている人と会うことが多く、
かつ、そういう人たちに相談を持ちかけられやすいのです。
先祖供養でお世話になっているお寺の先生からは
「あなたはお役目がある人だから、そういう助けて欲しい人や霊が寄ってくるけど、助けられる力を持っている。でも辛いのであればそれは無視しなさい」
と言われ、同情心で助けてひどい目に遭うことが多かったので、
「もう無理、はいスルースルー」の方向でいたんですが、スルーしてたら、
学校や職場、習いごとのレベルどころでなく、
ラーメン屋の後ろに並んだ人から躁うつ病をカミングアウトされ、家までついてこられそうになった挙句、数日具合が悪くなる始末となりまして、
神様から
「おまえ、役目サボってんじゃねーよ」
と言われているのではないかと思います。。
きっと、それに対し、
「何でこんなのばっかと遭うんだ!!」
とかいっていないで、
それに動じないように心身を鍛える必要があるんだろうな、と思います。
今回長いけど、ちょっと大学のときの先輩の話もさせてください。
大学のサークルの先輩で、Sさんという方がいました。
Sさんは、潰瘍性大腸炎で休学をしたりしていて、
われわれ周りの学生よりも一回り近く上のお姉さんでした。
Sさんは、とにかく世話焼きの先輩でした。
あとから、いろんな話を聞いたんですが、かいつまむと、
Sさんは、他の人じゃなくて、
自分の心を救ってあげる必要があったんだと思います。
さて、2002~2006年(としがばれる)、あの頃、
ホント不思議なくらい、文学部のせいか、表現・芸術系専修のせいか、
なんだか病んで精神科に通っている人がものすごく多かったんです。
で、あるときその中の一人が入院したんですが、
その子が入院前にサークル内を滅茶苦茶荒らしていったことがあり、
代表がその子に出入り禁止を伝えたことで、
S先輩が入院した子をかばって代表と喧嘩するみたいになり、
先輩とほかのメンバーがギクシャクしてしまったんですね。
S先輩はそのストレスで体調もおかしくなってしまったそうでした。
僕はといえば、その時期に絶賛うつ状態でずっと自主休校していたのですが
先輩からの電話も出たくなくてシャットアウトしてたんですね。
正直なところ、
僕はあまり長時間他人といるのに耐えられなかったり、
打ち解けるのに非常に時間がかかるので、
「悩みを相談しなさい、もっと心を開いて話をしなさい」と
グイグイ来られるS先輩が途中から息苦しくなって、
心の中では反発していました。
そんで、そういう状態で、先輩と会うことも減っていたのですが、
暑さも和らぎ、夜は肌寒さを感じるようになった頃、
授業にしかたなく出かけると、
S先輩が大声で僕の名を呼んで突然抱きついてきて、
「これからみんなでカラオケ行くぞ、朝まで遊ぶから!
今日は本音が聞けるまで逃がさないから」
と言ってきて、離してくれない。
普段そんな強引な人じゃないのに、びっくりして、
「S先輩、もしかしてお酒飲んでますか?」
と聞いてしまいました。
先輩は、潰瘍性大腸炎だから、お酒は一滴も飲みません。
その日は、たしか、
「今はあんまり調子がよくないから、また今度」
みたいなことを何度か言って、帰る時、
「じゃーねー!」とやたら元気な声が学食のホールに響いていて、
「うわー、元気だなあ。なんだったんだろう」
と思って帰ったのを覚えています。
あ、今思い出したけど、
あの時、先輩、「また」とはぜんぜん言ってなかったです。
その数日後、夜友達から「S先輩が亡くなった」という電話が入りました。
原因は、潰瘍性大腸炎が悪化して、と表向きされていて
僕もそうだとばかり思っていたんですが、
数年後、S先輩と仲のよかったM先輩と一緒にお線香をあげに行ったとき、
どうしても先輩の家の居間の鴨居に目が行くんです。
なんか、着物の紐みたいなのが巻きつく映像と一緒に。
あんまり見てるからS先輩のお父さんが怒ってしまい、
僕はきょとんとしたままM先輩と帰る道すがら、
S先輩には躁うつ病もあり、学校に行ったときがちょうど躁状態だったこと、
ちょうど、あの僕が見た鴨居で、家族が目を話した隙に自殺していたこと
を聞きました。
びっくりして、その日は帰ってからも色々考えていたのを覚えています。
S先輩のことで、もう一つ覚えていることがあります。
やっぱり僕が先輩に話を聞いてもらっていたとき。
たしか、僕が「愛なんてただのエゴだクソが」と息巻いていたとき、
先輩が、
「私の言うことをあなたはきれいごとだって思ってると思うけど、無償の愛は本当にあるんだよ。例えば、こうやって私が、体調のこともあるしバイトもしてないのに、ファミレスでおごってあげてあなたの話を聞いているのも、あなたがよくなって欲しいから。これも、完全ではないかもしれないけど、一つの無償の愛の形だよ」
といいました。そのときパンクスで髪が真っ赤か金髪だった僕は、
「んなもんあるわけねーよ」、
としか思いませんでしたが、
先輩は、それもわかっていたうえで、こう続けました。
「私があなたの話をきく理由の一つはね、私がこうやってあなたの話をきいた愛を、あなたの後輩や他の人にしてほしいからなの。そして、この話をしてあげて、それが広まれば、世界はもっとよくなっていくと思うから。いつか、私の言ったことがわかるときが来るよ」
それから、
「そうしたら、先輩の言ったことは正しかったです、ごめんなさいって降参して、もっと前向きに、人生を生きているあなたの姿を見せて欲しい。そのときに、卒業してても、私もずっとあなたの人生に少しでもつながっていきたいから、卒業してもよろしくね」
といいました。
僕はそのとき、
「ペイフォワードかよ!」
って突っ込みを入れてしまい、そのときは深く考えていなかったんですが、
このことはずっと覚えています。
僕は親とか、
継続的に愛情を示してくれる人がほんとうに周りにいませんでした。
帰る場所、安全地帯と言ってもいいかもしれません。
でも、なんとかここまで生きてこれたのは、
他の人が、ささやかな優しさを向けて
おすそ分けしてくれたからに他ならないと思います。
よく偉人伝に出てくるような、才能を見出してくれるとか、母親代わりとか、
学費も出していいとこに紹介してくれて面倒見てくれる
みたいな大恩人は誰もいないけど、
そのおすそ分けがすでに無償の愛で、
ゆえに先輩が言ったことは実際に正しかったんだろう、と今改めて思います。
で、ここでライ麦に突然話が戻る。
主人公のホールデンがなりたかった「ライ麦畑のつかまえ役」。
これって、考えてみたら、無償の愛そのものじゃないかなと思うんです。
ライ麦畑で崖から落っこちそうなぎりぎりのところに立っておいて、
遊んでいる子供と深くかかわるわけでもなく、
ただ、危ない子だけをひょい、と安全なところに降ろしてあげる。
その子供は遊びに夢中だから、
そのままきっと礼すらいわずにまた遊びに行くでしょう。
でもそれでもいい、そういうのになりたいってのは、
ホールデンが言いたかった・やりたかったことは
「無償の愛を表現したい」ってことだったんじゃないかなと思います。
実は、S先輩のことを思い出すと、
いつも一緒にライ麦畑のことが浮かんできていたんですが、
きっと、ささやかな無償の愛、でつながっていたんですね。
書いてて気づきました。
なんだかうまくまとまらないけれども、
僕は、そうやって、
先輩やらいろんなものにハッパをかけられているんでしょう。
でもね、本当は、今ならもっと、S先輩の話もちゃんと聞けたと思うし、
自分も何度も死のうとしたから、その人の苦しみを考えたら、
「何で自殺なんて」とか「弱い」とかは思わないし、
絶対に駄目だと止めることもしないけど、
時間が止まっちゃったらもうそこまでで、もう二度と会えないから、
あの時はごめんなさいも言えないし、
カラオケ一緒に行くこともできないし
時間が経てば経つほど、もっと長く僕たちと同じように年を重ねて、
昔の黒歴史を笑いあったり、過去を懐かしんだりしたかったなあ、
今なら、もっと色々話せたんじゃないかなと思って、
ふと思い出したときにただただ、さみしくなります。
先生から、
「きみは学校は・・・う~ん、まあいいけど、とにかく本当に好きなことをしなさい。それから、稼がなきゃ駄目だ」
といわれたし、絵を描くのも好きだし、友達がお寺で修行するって言ってるのも興味あるしで、ホメオパスになるかどうかも怪しいところですが、
きっと根っこの部分は、こういうことをしろって言われてるんだろうなと思います。
次の頭の中につづく~
<こっそりヒーリングの仕事やってます>
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